Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

生徒には挑戦させる 失敗を恐れていけないのは教員の方

今回のテーマは、「失敗」と「挑戦」です。

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失敗は誰でもするしお互い気にしないことが幸せになる

 はっきり言ってつまらない学校生活になりました。コロナのせいではありません。保護者に怯え、責任問題を誰に取らせるのか、説明責任でどう言い逃れするのか、日々不安やビクビクしながら働いている現場を見ていて嫌気が指します。

 

 そもそも教育とは、失敗から新たな学びを得て、失敗から辛い経験をし、それを乗り越えるために自分自身を向き合うよう努力し、成長をするために必要な大切な本質なのです。それがいつの間にか、本質を見失い「失敗しないためにノウハウを身につける」ようなものへとなってしまったのです。

 

 そんなにマスコミや世間一般の勝手な思い込みに我々が振り回されなければならないのでしょうか?そんなことをしていて本当に生徒は自立できるのでしょうか?日々そんなことを思いながら学校生活を送っています。

 

 さて、みなさんは日頃から生徒に失敗をさせるよう努めていますか?失敗をさせることが目的ではありません。失敗を受け止め、そこから何か学びを得ようとさせていますか?そこが重要なのです。私は教育者としてたった1つ意識してほしいことがあります。それは、「失敗して当たり前」であることを前提に生徒指導を考えてほしいことです。

 

 日本人の特性なのか、失敗を悪いことと捉えている人が多いように見受けられます。そもそも私達は誰しも、失敗から学びを得て成長してきたのです。それなのに、失敗が本当に悪いことなのでしょうか?そんなことはないのです。

 

 私からすれば、大人に対しても生徒に対しても寛容になれない人は、正直人間性を疑います。自惚れも良いところです。自分が失敗しない完璧な人間なのか胸に手を当てて考えてほしいものです。しかし、悲しいことにそう言った人ほど自分の欠点がわからないですし、受け止めようとしません。

 

 だからこそ、この記事を読んでいる方に言いたいのです。他人の失敗に対して怒ることは、人生を無駄にしているのです。自分自身も相手も幸せにはなりません。だから、他者に対しても寛容になって、お互いに考えながら人間として成長してほしいのです。

 

 それにこちらが寛容になれば、生徒も自分の失敗を素直に受け入れるようになり、自然と成長していくものなのです。人は自分自身が受け入れられると、その人に対して信用信頼をしていくものなのです。この人なら許してくれるし、一緒に考えてくれる、と思うようになり自分自身から挑戦し、失敗を経て学んでいくようになるのです。

 

 だから、教員のみなさん自分自身の失敗にも寛容になってください。自分自身が失敗しても、自分を責めないでください。自分自身に寛容になれれば、他者に対しても寛容になれるのです。お互い失敗するから、「困った時は助け合おうね」ぐらいの感覚で良いのです。

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怒る暇があるなら宝の価値を高める指導を徹底する

 私達は、生徒と接しているのではなく、「日本の未来の宝」と毎日会っているのです。その宝をより輝かせることができるかは、私達の教育の仕方にかかってくるのです。教員のみなさんも生徒達も失敗に怯えず、果敢に色んなことに挑戦してほしいと考えています。