教育の目標は報酬を与えること?
はじめに
最近‥常々、疑問に思っていることがあります。それは、「結果と引き換えに子どもに報酬を与えること」です。学校であれば、シールをあげたり、家庭であればお金を与えたり、ものを買ってあげることが挙げられます。このやり方は、与え方にもよるのでしょうが、今のご時世にあっているのかは甚だ疑問に感じます。
以下内容
今回、伝えたいことは「報酬を与えること」が果たして、本当に価値のある方法なのかどうかを考えていただきたく書くことにしました。私達の現在行っている教育は、未だに産業革命の名残りそのものと言えるでしょう。指示通りに動く、言われたことで良い結果を出すことで高い評価をされる、集団で動くことに重きがあり、1人ひとりの発言は価値がない、などが挙げられます。これは、確かに産業が発達した時には重要なことでしたが、今の情報発信が当たり前のこの時代に適しているやり方なのでしょうか?
つまり、産業革命の時代であれば、何かやったことに対しての結果・成果に報酬を与えることは良い教育だと私も思います。しかし、情報発信ができるようになった時代で、そんなことが必要なのでしょうか。いずれにしても、報酬を与える際に注意しなければならないことは、「嫌のことをやれば報酬がもらえる」や、「何かを得るためにその行為を行う」ことだと私は考えます。実際にこの思考で、子ども達が育ってしまうと人生においての働き方も大きく変わってきます。
例えば、「嫌のことをやれば報酬がもらえる」だと、将来仕事についた時に、いやいや仕事をしないと給料がもらえない‥そもそも仕事は嫌のことをするのが当然で、その結果として給料を得られるという思考になってしまう可能性があるのです。また、「何かを得るためにその行為を行う」も同様で、そもそもの目的がなければ働く必要がないという思考にもなりかねないのです。学校で例えると、シール(報酬)を与えるようにし、生徒達のやる気を出させるよう、下記のような条件を設定するとします。
条件
・テストで100点を取れば、シールを1枚あげる。
・テスト(5つ)の合計得点が400点以上なら、シールを1枚あげる。
・本を週に5冊読んだら、シールを1枚あげる。
・本を月に15冊読んだら、シールを1枚あげる。 などなど
このように条件を設定しながら、生徒の学習意欲を高めるようにする取り組みをしていくとします。確かに、ハマるこにはハマってどんどん勉強し、学習意欲は向上するでしょう。一方で、学習意欲があっても能力が追いつかず、シールをもらえない子はどうなるのでしょうか?周りと比較して自信を無くすことや、報酬が得られないので学習意欲が低下することは考えられないのでしょうか。そもそもこのやり方は、本当に良いやり方なのでしょうか。これは、一歩間違えれば「報酬を得るために勉強をする必要がある」と勘違いさせてしまったらかなり危険だと私は考えます。つまり、報酬が得られないのであれば、勉強やその他で何かをする必要はないと思わせてしまうのです。そうなると、損得勘定で動くようになり、自分ができることでも報酬が得られなければやらないようになるとも言えるのです。
ここまで結構否定的なことを書いてきました。しかし、このやり方が間違っている証拠なんて一切なく、個人的な先入観のみで話をしています。私が伝えたいのは、やり方と生徒に対してどのように伝えるかが問題だと思っています。例えば、シールを与えるにしても、なぜシールにしているのか別の理由を用意する必要があります。例として以下のように教員側が生徒に予め伝えるのです。
・勉強は結果・成果が見えにくいです。
・よってシールを貼りながら、勉強の可視化をやっていきます。
・勉強した時間によってシールの枚数が変わる分かりやすいです。
・当然、シールの多さで良い・悪いはありません。
・シールが少なくても、短い勉強時間で良い点数が取れるのは非常に素晴らしいことです。
・シールが多かったのに、良い結果が出なかったとしても、たくさん勉強をした過程が何よりの財産です。
・シールを得ることが目的でもないですし、目標を設定する必要もないです。
・自分のことを知るために、シールで勉強の可視化をしていきます。 などなど
このように説明していけば、シールの多さを競ったり、シールをもらうことが目的になったりすることはないと考えられます。
ここで1つまとめておきたいことは、「そもそもなぜ勉強をする必要があるのか?」です。これは、「人はなぜ学ぶのか」という本に答えが書いてありました。それは、「生きていくために知識を得る」ということです。私達は、昔から学習をしてきました。私達以外の生命もその例外ではありません。だから、くれぐれも勘違いしてほしくないのは、学習意欲の向上ではないということです。自分自身が幸せに生きていくために、どのような知識を身に付けていくのか、それを生徒に理解してもらわなければなりません。確かにシールとかを使ってやれば、その時は学習意欲は向上するでしょう。しかし、その後はどうなのでしょうか?それがなくなった途端に学習をやめてしまうことは考えられないでしょうか。私達が考えることは、長期的な取り組みを習慣づけさせて生徒達に、それを伝えることなのではないでしょうか?
長くなりますが、もう一つ伝えたいことがあります。それは、情報発信ができる世の中だからこそ、本当に好きなことに熱中させてあげるべきだということです。今は、自分の好きなことを突き詰めて、それを情報発信することで収益を得ている人達がたくさんいます。いや、たくさんできるチャンスが増えたと言った方が良いでしょう。もちろん学校の勉強も大切ではありますが、それと同等に自分自身が心の底から好き過ぎて、気がついたら一日が終わったいたなんていうものも大事です。私達の暮らしや働き方はもう数年経てば、変化し今の常識や考えが通用しなくなってくるでしょう。いざ働き始めて、自分が何をしたいのか、何をやりたいのかわからないことは本当に苦しいことことです。勉強だけを押し付ける教育はもう古いと考えていますし、職場で教員と生徒の会話を聞いていると悲しくなる発言があります。それは、教員がこういう発言をすることです。
「好きなことばっかやっていないで、勉強しなさい。」
どれだけの人が、自分の好きなこと、やりたいことを知らずに人生で苦しんでいるのか、それに、自分が好きなことをやってはいけない‥その時間を奪われることがどれだけ辛いことか、私は常にギャップと疑念を抱きながら仕事をしています。今後の世の中を生きていくにあたり、自分自身のことを知らないのは本当に難儀になることでしょう。
一人でも多くの方が、生徒の本当の幸せな未来と向き合っていただけることを切に願っています。
初任者・若手教員必見〜教員が絶対に読んでおくべき本 その1〜
今回のテーマは、「読書」です。
今回紹介する本は、教員はもちろんのこと保護者の方にも是非読んでいただきたい本になります。
ちなみに案件ではないので、ご安心ください。私の自己満足で紹介します。
今回紹介する本は、
「学力の経済学 教育経済学者:中室牧子」です。
読んでいただきたい理由は主に3つあります。
1つ目は、因果関係なのか相関関係なのかを日々考えるクセをつけてほしいからです。
2つ目は、学級経営や教科指導をする際の手段として本書に記載されていることを実践してほしいからです。
3つ目は、良い教員について記載されているので、それを参考にして日々指導力や人間としての魅力を培ってほしいからです。
では、ここからはそれぞれの理由について説明をしていきます。
まず初めに、1つ目の理由である「因果関係なのか相関関係なのかを日々考えるクセをつけてほしい」理由から説明していきます。
おそらく多くの学校は朝読書を取り入れているのではないでしょうか。
いきなり読書の話になり何のこっちゃ?と思うかもしれませんが、一旦読んでいただけると助かります。
本書には、「本を読むことで勉強ができるようになる」と「そもそも勉強ができる子は読書の習慣がある」という表現が用いられています。(若干表現は違います)
前者は、因果関係になります。
Aという原因があり、Bという結果になる。(因果関係)
後者は、相関関係になります。
AとBが同時に起こっている。(相関関係)
つまり、因果関係なのか、相関関係なのかわからない状態で無意味に読書をさせても無駄な労力やお金を費やすことになり、教育をしているという錯覚を起こしています。
普段から、自分の授業を振りかって因果関係なのか相関関係なのかを把握して授業や生徒指導に臨むクセをつけないと指導力は伸びません。
例えば、普段読書をしなかったA君が急に読書をするようになって、それに伴いテストの点が上がったとして、それが読書のおかげであるというのは浅はかな考えになります。
ましてやそれで、「A君を見習いなさいと」生徒の前で言った日には目も当てられません。
もしかしたら、A君は読書をしているフリをしているだけかもしれません。
塾などにいくことになり、テストの点数が上がるようになったのかもしれません。
はたまたそれ以外のことや日々の努力が身を結んで結果が現れるようになってきたのかもしれません。
そのように深く考えていくクセをつけて、日々指導力の向上を図ってほしいからこそ、因果関係と相関関係について知ってほしいのです。
次に2つ目の理由である「学級経営や教科指導をする際の手段として本書に記載されていることを実践してほしい」ことについて説明します。
例えば、生徒を誉めるときに過程をほめるのか、結果をほめるのかによって生徒の伸び代は変わってきます。
結論から言うとどちらをやっても良いのですが、注意点があります。
もしそこを間違えると生徒のモチベーションを下げることになり、逆効果になりますので慎重にことを運んでください。
本書には、ミューラー教授らの実験について記載されていています。
実験としてテストの結果をほめるのとテストまでの過程をほめるという2つのパターンの実験を行いました。
その結果、過程をほめらてた子どもの方が成績が伸び、逆に結果をほめられた子どもは成績を落とすという結果になりました。
私個人としても過程をほめることをおすすめします。
こちらは大変ではありますが、生徒との信頼関係を築きやすいからです。
それに生徒も過程をほめられることで、それを継続していく可能性も高まるので、一石二鳥です。
かつ、変にガミガミ言うよりもこっちの方がお互いに気持ち良く接することができるからです。
ただ、結果をほめることがいけない、ということでもないのですが、まずは生徒を観察したりほめ方を工夫したり覚えるために過程に視点を向けて取り組んでいただきたいです。
最後に3つ目の理由である「良い教員について」を説明します。
本書では、「遺伝や家庭の資源など、子ども自身にどうしようもないような問題を解決できるポテンシャルを持つのは教員」と言うことが記載されています。
つまり、生まれや育ちが恵まれていないとしても、教員が関わることでそれを塗り替えていける可能性を高めることができるのです。
ただ、そこまで大それたことをできるようになってほしいというわけでありません。
自分自身にも生徒の可能性を変えていける内なる力があるんだ、それを毎日少しずつ育んでいきたい、そのような気持ちで臨んでいただければ幸いです。
それ以外にも良い先生というのは、生徒の成績を上げることができたり、望まない妊娠の確率を下げたり、大学進学率や将来の収入を高めることも明らかにしています。
良い教員の条件以外にも教員が押さえておくべき重要な要素が本書にはたくさん記載されています。
失礼な話教員の質を高めるために研修は無意味であることも示唆されています。
しかし、それは研修に臨む姿勢も関与していると個人的には思っています。
私は、授業が下手でそれを改善すべく研修にも参加して、学んだことを少しずつ授業に取り入れて改善を図っていきました。
徐々にではありますが、少しずつ改善がされ授業もしやすくなったことを覚えています。
日々、少しずつ自身を高めていけば、そのような姿勢を見せていけば、生徒もあなたのことを一目置き影響を受けて、より良い方向へ導くことができるかもしれません。
大変だと思いますし、根気が必要なのも事実です。
しかし、この記事を読んでいるリテラシーの高いあなたならそれが可能なはずです。
自信をもって日々生徒と向き合って生徒の人生に影響を与えられるような教員になってください。
初任者・若手教員必読〜まず最優先でやるべきこと〜
今回のテーマは、「仕事」です。
初任や若手の頃、多くの業務をこなさなくてはならないため、どのような仕事を最優先してやるべきか、わからなくなってしまうことはありませんか。
また、人によってもいうことはまちまちなので、どれが正しいのかわからなくて戸惑うこともあると思います。
最初に誤解を生まないよう伝えておくと「無理は禁物」です。
もうダメだと思った時には立ち止まったり、休暇をもらって心と体のメンテナンスが必要であることを伝えておきます。
それを踏まえた上で説明をします。
初任者・若手教員がまず最優先して行うべき仕事は、「出勤すること」です。
えっ?それだけ?と思ったかもしれませんが、それだけです。
そもそも出勤しなければ仕事は覚えられません…というか仕事ができません。
仕事ができなければ当然、仕事も振られないですし覚えることも聞くこともできません。
ですので、変に仕事を覚えるというよりもまずは、毎日出勤することを一番の仕事だと思ってください。
ただ、体調不良(メンタル含む)の時は、無理せずゆっくり休みましょう。
では、なぜ出勤することが最優先の仕事になるのか説明をしていきます。
現状、教員不足であったり、現場はおそらく年配の方と若い方の層で別れており、中間層がいないように感じております。(主観的な話)
私が勤めていた現場はそうでした。
その時に、年配の方は休む頻度が高く、それだけで授業の埋め合わせをするのに他の空き時間の教員が補教に入るため負担が増えます。
つまり、あなた一人が毎日出勤するだけで他の教員の負担が減ることになります。
だから、変に仕事を覚えるとかは気にせず、毎日自分が出勤することで学校の力になっているという気持ちで学校へ向かえば問題ありません。
ただ、怒られる時もあって凹むこともあるかもしれませんが、その時は「自分が誰かの代わりに怒られている。だから、他の人が嫌な思いをしなくて済んでいる。」とでも思っておきましょう。
無理にそれを行う必要はないですし、他に別の考えて自身が他者の力になっている思考転換があればそれを実践してください。
くれぐれも自分を追い込むような思考だけは避けましょう。
教員になったばかりのころは非常に大変だと思います。
ただ、深く考えずまずは毎日出勤して自分に課せられた仕事を行っていれば問題ありません。
できることも増えてくれば自然と他の仕事でも力になれる部分も増えてきます。
特に今の若い方は40年ぐらいは仕事を続けていくことになるので、同期が仕事ができて自分は遅れているというも数年は誤差になります。
だから、他者と比較するでなく昨日の自分と今日の自分を比較して日々の成長を実感し自信や自己肯定感につなげてください。
時に休息も大切ですので、しっかり休んでください。
40年間続けていくプロセスで仕事をしていくのがとても大事なことになります。
ご精読ありがとうございました。
野球部の顧問をしていた時の話〜私はたったひとりの保護者に掬われた〜
今回のテーマは、「部活」です。
久しぶりにブログを更新をしてみようと思い立ちました。
教員を離れて数年が経ち、心も少しずつ回復し過去にあったできごとも受け入れられるようになった今日この頃です。
そんな折なぜかふと、野球部顧問をしていた時のことを思い出しました。
当時、そこまで気に留めていなかったのですが、今思うと私はひとりの保護者に掬われていたんだなと思い、その記事を書くことに至りました。
それでは、そんな話に付き合っていだければ幸いです。
コロナ禍もあり、部活に制限がかかっていた時期がありました。
ですが、部活で試合を行える機会が巡ってきました。
※公式試合ではない
当初部員の人数も少なく、ぎりぎり試合に出場できました。
対戦チームは、ちょうど同じ地域の外部で野球を行っているチームでした。
※知り合いの生徒・保護者がいるチーム
試合の結果は、1回戦目で敗退でした。
コロナ禍もあり、当然部活は制限されており全然練習ができていない中での試合だったので、当然の結果ではありました。(言い訳がましいですが)
ただ、部活でないチームなどは練習をしていたそうです。(言い訳がましいですが)
試合の流れは、相手チームに先制されそれが最終回まで持ち越すかたちとなりました。
手に汗握る最終回でしたが、こちらも同点まで追いつくことができ勝利の可能性を見出すことができ心が躍りました。
しかし、こちらは人数がちょうど9人、練習量が減ったこともあり体力面でも最終回はかつかつでした。
つまり、最終回で逆転できず、サドンデスになった場合こちらに勝機がないのは明白でした。
結果として、最終回は逆転できずサドンデスで敗退することとなりました。
ここからは、保護者に言われたクレーム(不安)になります。
最終回でヒットを打ったA君がおり、その子の活躍があり同点まで追いつくことができました。
サドンデスは、好きな打順からバッターを初手にもってくることができます。
当然、A君を初手のバッターにすればよかったのですが、私はそうしませんでした。
最終回が終わった打順の続きで、バッターを初手に送り込みました。
そこで、保護者からクレーム(不安)が募りました。
なぜ、A君をサドンデスのバッターにしなかったのかと…
おそらく、この記事を読んでいるあなたも保護者の方と同じ意見だと推察します。
A君は最終回のヒットを打ち、走塁も限界まで追い込み最大限進める塁まで行きました。
その後、必死にホームを狙い動き、得点をなんとしても確保するという様を見せ、実際に得点を取りました。
が、その代償として疲労困憊となり体に相当な負荷がかかっていることがわかりました。
だから、サドンデスになったとしても私はA君を初手バッターにすることは選択肢にありませんでした。
もし、ここで彼に無理を強いれば体を壊すこともあったので、そんなことになってほしくないという思いが先にきてしまいました。(感情的になってしまいました)
幸い、次のバッターが(最終回終わった時点)日頃練習にも休まず参加していた子だったので、その子に打席に立ってもらいたいと思い、最終回の続きからである打順からやることに決めました。
ですが、その子の保護者にもA君をなぜ初手バッターに選出しなかったかと問い詰めらてれた時は動揺しました。
別に感謝されたかったわけではないのですが、なんだか複雑な気持ちになりました。
その後、試合も終わり荷物をまとめベンチを去りました。
私が身支度を整えているところに、あるひとりの保護者が来ました。
その方は、相手チームの保護者で私の知り合いでもありました。(当然ですが)
その保護者は、私の試合運びや判断を肯定的に説明してくれました。
というか私が意図していたことをそのまま話していたので、私自身も驚きました。
私の批判をするのでなく、私の判断などが適切であったことや部活で少ない練習時間の中、あそこまで良い試合展開にもっていけてたこと、紙一重で自分(保護者側)のチームが負けていたかもしれないことを私に話してくれました。
皮肉なことに、同じチームにいるはずの保護者からはクレームを受け、相手チームの保護者からは賞賛されるというかたちになりました。
ですが、今振り返ってみると私は救われていたことに気がつきました。
いや、もしかしたらずっと気がついてたのかもしれませんね。
ただ、そう感じていなかっただけで。
言いたいことはただひとつ。
あの時に私の元へ歩み寄ってくださった、たったひとりの保護者の方に感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました。
もし、あのやりとりがなかったら私はずっとそのことを引きずって生きていくことになったかもしれません。
ですが、ひとりでも認めてくれる方がいれば、それを振り切って前に進めることが今になってわかりました。
その保護者の方が、ただ幸せに生きてくださることを私は心から望んでいます。
この記事を読んでいる方もどうか、あなたを認めてくださる方との関係やご縁を大切に育んでください。
取り止めのない話になってしましましたが、お付き合いいただき感謝いたします。
あなたにも幸福が訪れることを心からお祈り致します。
それではここで失礼致します。
なぜ部活動を頑張る教員がいるのか〜部活が好きなわけではない〜
今回のテーマは、「部活」です。
先に伝えておくと、部活に熱を入れることは悪くありません。
ただし、しっかり自分の業務を行い、空いた時間に適切な指導をしているならの話です。
なお、だからと言って部活を肯定するわけでもありません。
今回は、部活が良いとか悪いとか、そういうことを伝えたいわけではありません。
最も力を入れなければならない授業よりも、優先して部活動に力を入れている教員は少なからずいると思います。
なぜ、その人(達)が部活動に熱心になるのかを解説していきます。
ただ、今回記載することが必ずしも絶対ということではありません。
傾向として多いことを記載しますし、当の本人達は今回の内容を自覚していないことがあるので、そこも注意してください。
それでは、本題に移ります。
結論として、部活動に熱中する教員の心理は、「指導が楽だから」です。
授業であれば、それなり自分で勉強したり、授業の準備をしたり、授業後に振り返ったりするなどして答えのない答えを常に見つけていかなければなりません。
正直、部活動も同じことが言えますが…
ただ、授業と部活動で違うのは、「目に見えて結果がわかる」ということです。
授業は、そのような目に見える結果が分かりにくいです。
何かしらの表彰等があるなら別ですが。
人は、結果によって報酬を得られることに快感を覚えます。
よって、部活動で生徒達に指導をすることで結果が出れば、生徒達は表彰されるので、その時に「部活動を一生懸命指導して良かった」となり、これからも部活動の指導を頑張ろうとなるのです。
厄介なことに、生徒も自分が表彰されることで自己肯定感などが養われるようになり、部活動を頑張ろうという気持ちになっていきます。
何より、生徒は結果を出せたのは先生の指導があったからという考えに至り、その先生のことを一目置いて見るようになります。
それで教員の自己肯定感がさらに高まり、部活動が病みつきになってしまうのです。
タチが悪いのは、周りの教員も部活動で結果を出した教員を評価するようになり、部活動に力を入れることは正当なことだと勘違いしてしまうようになるのです。
また、部活動で結果を出すことで生徒達も「恩」を感じるようになってしまうため、授業の良し悪しも気にしなくなってしまいます。
そして、最初の記載した「指導が楽だから」の意味をまとめます。
部活動は、入りたい人が入ります。当然ですね…
当然なので、顧問の指示に従うのが当たり前になります。
そして、その当然が厄介で、教員は何でも指示に従う生徒を支配できていると勘違いしています。心地よくなってしまいます。
自分の王国の完成です。
だから、自分の思い通りにいく世界が心地よくなり、部活動にのめり込んでいってしまいます。
部活動は、教員の承認欲求を満たすのに最も適している場所になるのです。
部活が好きな教員は、その部活動が好きというよりも、部活動の生徒が自分の指示通りに動いてくれることが好きなのかもしれません。
それで、自分が偉くなったような感覚に陥り、目に見えて結果が分かりやすい部活動にどんどんハマっていきます。
よって、好きでやっているのか、生徒のためにやっているのかは、本人にも当然こちらでも判断はつきません。
ただ、事実としてそういう心理があることは把握しておいた方が良いです。
以上になります。
あとがき
ちょっとオチがまとめられない感がありました。
ただ、部活を正当化する人達の心理は、そういうものなんだな、ということは理解してほしかったです。
それに全員が自分の承認欲求を満たしたいわけではありません。
私も現場にいた頃、ある先生は自分の仕事もしっかりこなして、その上で部活動の指導も熱心に励んでおられました。
だから、別に部活動が悪いということも一概に言えない部分もあります。
生徒も本当にその部活動が好きだし、教員側もその部活動の指導をしたいという思いでやっている部活もありました。
そういうWinwinな関係で行うのであれば、それは部活動をやる意味はあると思います。
ただ、そのような部活動はどのくらいあるのでしょうか?
それを実現するのであれば、根本のシステムから変えていかないと、ある部活動は不幸になり、ある部活動は有意義になり格差が広がる一方です。
今回は部活が良い悪いが言いたいわけではないので、そちらだけは再度把握をしておいてください。
ご精読ありがとうございました。
教員からIT業界に転職〜プログラミングスクールに通う必要がある?〜
今回のテーマは、「転職」です。
今回の内容は限定的な内容になってしまいますが、興味がある方も是非ご覧ください。
ただ、私の独断と偏見になりますので、そこはご注意ください。
それではな早速結論なのですが、「どちらでもない」です。
こればかりは条件によります。
プログラミングの経験がある方は、そこまでスクールに通う必要がないかもしれませんし、スキル感によっては通った方が良いかもしれません。
ただ未経験でも20代前半の方であれば、まだ採用はされやすいと思います。
ですので、自分の将来や今のスキル感を鑑みて判断する必要があります。
当然、独学できるのならそれに越したことはありません。
しかし、スクールに通うとなると数十万はかかるので、いざプログラミングが合わなかったときには、大損失することになると思うので、安易に通う決断もしにくいと思います。
そこで、一例を紹介しますので、参考程度に聞いてください。
まず、私の実体験なのですが、最初はスクールに通いませんでした。
ネットにある無料サイトを使って勉強を始めました。
その際、途中から有料会員になって勉強した時期もあります。
今は、YouTubeもあるのでそれでも良いと思います。
やっていくうちに、自分の力では限界があることがわかったので、思い切ってプログラミングスクールに通うことにしました。
そこからは、時間があればカリキュラムを実施してわからないところはメンターさんに相談し勉強をおこなっていきました。
ざっと私はこんな感じでした。
ここでのポイントは、最初は無料でやることです。
そこから興味関心を抱き、もっと専門的なことが知りたい、という気持ちになれば当然プログラミングスクールに通った方が良いです。
一方で合わなければ、プログラミングを一旦離れても良いと思います。
このやり方が一番無理がなく、ダメージも小さく済む方法だと思いますので、私はおすすめをします。
それに独学でいけると思ったら、無理にスクールに通う必要はないわけですから。
ただ、ここで落とし穴がありますので、それを2点紹介しておきます。
まず、1つ目は、「インプットだけにならないこと」です。
スクールにしろサイトにしろ、勉強だけで終わらせないようにしてください。
必ず、自分で学んだことをアウトプットしてください。
その際に、良いアプリやサイトを作ろうと思う必要はないです。
しょぼいな、と思うようなもので全然構いません。
それに知識が養われれば、そのうち良いアプリになっていきますから。
慌てず、まずは簡単なものから作っていくようにしてください。
そうすれば次第に応用もできるようになりますから。
2つ目は、「年齢で安心しないこと」です。
最初の方に、20代は前半は未経験でも採用されやすいと言いましたが、あくまで傾向であり、絶対ではありません。
その条件に当てはまっていようが、落とされる人は落とされます。
それに企業側からすれば、20代の勉強していない人と30代の勉強している人だったら、まだ30代の勉強をしている人を取ろうという気持ちになるのは確かです。
ですので、いくら若いからと言って何もしなくて良いわけではありません。
勉強は確実にやっておいたほうが良いです。
そして、30代の方は逆に不安になりすぎない方が良いです。
不安になって転職活動がうまくいっていれば、ほとんどの方は苦労していないでしょう。
だから不安を感じる時間があるなら、その時間を勉強(アウトプット)の時間に回した方がいいでしょう。
私も全くの未経験で、30代の転職だったのでビビりまくっていましたが、IT業界に入ることができました。
だから、今勉強をしている、勉強を続けている、これから勉強を始めるというのであれば、もう第一段階はクリアしているので、あとは地道に歩いていくしかありません。
そうすれば、途中であった方があなたのことを認めて採用してくれるはずです。
だから、めげずに泥臭く毎日の積み重ねを大切にしてくだい。
そうすれば、将来良いことが必ず起きますから。
私自身も今この記事を読んでいるあなたのことを心から応援しています。
自分の輝かしい未来のためにも、今はしっかり踏ん張って前に進んでいきましょう。
あとがき
正直、スクールに通うよりすぐにIT業界に転職して、働きながらプログラムを学ぶという方法もあります。
今回の内容はすぐに転職に踏み切れない、転職しようか迷っている方向けの内容なりますので省きました。
私自身、早く仕事を辞めて、若いうち(20代前半)からIT業に入れば良かったと後悔してます。
ですので、本記事には記載しませんでしたが、この方法も参考のひとつとして
受け取ってください。
私自身勉強の時間が長くなり、それで気持ちがだれた部分もあります。
それよりも、早いうちから現場で本物のプログラムに触れた方が確実に上達は早くなりますし、モチベーションも上がると思います。
個人的には、20代前半は上記の可能性があると思っています。
私は生憎30代だったので、付加価値をつけるためにプログラミングスクールに通いました。
ですが、ことあるごとにお金を使ってしまうと自分の手元にお金は残らなくなってしまいます。
だから、独学をすることもひとつの選択肢なのです。
ただ、スクールに通って払った金額以上の給料が手元に入ってくるのであれば、それは別に問題のないこともでもあります。
転職の何が大変って、お金がかかることもあれば、決断の仕方がわからなかったり、継続して転職活動を続けるのが大変だったりと、様々な不安と戦いながら毎日過ごさなければならないことだと個人的に思っています。
ですが、この記事を読んでいるあなたは今も自分の人生と向き合うことができていますので、この先必ず良い結果が出ます。
今は耐え忍ぶときになりますので、息抜きもしながら長期的に取り組む視点をもってやっていければ幸いと存じ上げます。
心よりあなたの転職活動を応援しております。
ご精読ありがとうございました。
転職を決断する上で毎日実践すべきこと
転職して分かったこと〜これはもはや受け入れること〜
今回のテーマは、「転職」です。
SESに転職して、はや半年以上が経ちました。
現在SESとして、2つの現場を体験しました。
転職して働く中で一番変わったのは、やはり人間関係になりますね。
とにかく感情的になる人がいなくて、コミュニケーションがとても取りやすいです。
そのため、ストレスもあまりなく穏やかな日々を過ごしています。
どれだけ教員の働き方、人間関係が感情で成り立っていたのかと思う今日この頃です。
さて、転職がうまく行くかどうか不安を抱えている方もおるかと思います。
結局今現在、仕事がうまく行っていないと転職先でも同じになってしまうのではないか、と思ってしまいますよね。
こればかりは、仕事内容によると思います。
自分が苦手な分野で働こうと思うと、うまくいきにくくなると思います。
ですが、自分が得意なことや今までの経験を活かせることであれば、転職も成功しやすくなります。
ただ、それでもどうしようもないことはあります。
今回はそのどうしようもないことを、1つだけ紹介します。
そのどうしようもないことの結論は、「現場に最低1人はアホがいる」です。
これはもう、自分がいくら転職活動を頑張っても無理ですし、どの職場に絶対いるものだと割り切ってしまった方が、ストレスを溜めずに済みますし、何より自分が一番楽になります。
それに気がついていると思いますが、「最低1人」なので、複数いる場合もあるのです。
そんなアホな人の対処方法ですが、「極力関わらないこと」です。
ですので、最低限の会話、仕事で必要になることのみ、コミュニケーションがうまく取れなければ誰かに入ってもらう、これらをひたすら行うしかありません。
悲しいことにアホな人は、自分がアホだと気がついていません。
気がついていないので、自分を変えることができません。
そして、アホな人は他人に当たることや、他人にミスを押し付けることを平気でやってきますので、これはもう関わらないこと以外に対策のしようがないのです。
タチが悪い場合、しっかり話した内容のメモを取る(時間もメモしておく)、ボイスレコーダーでやり取りを記録する、までやるぐらいの覚悟で挑まないと後々面倒なことになります。
よって、この記事を読んでいる賢いあなたが常に変わって、優位に立てるようにした方が良いのです。
全然成果を上げていない、成功をしていない私の記事を読むあなたは、ものすごい勉強熱心な方だと思います。
普通は本で学んだり、先輩教員から学んだりしますが、それらに加えて私の記事を読んで更なる高みを目指しているわけですから、勉強熱心でないはずがないのです。
そんなあなたを私は心から応援しています。
だから転職の不安に負けないでほしいです。
転職後もアホな人に振り回れないでほしいです。
ですので、転職でできる最大限の努力は惜しまず行ってください。
その上で、転職後にいるであろうアホな人との関わり方や距離感をしっかり対策していけば良いのです。
あなたは有利です。
何せ、転職後にアホな人がいることを知っているからです。
だからそんな人と鉢合わせても、転職が失敗してなんて思うことはないのです。
もし仮にあなたがこの記事を読んでいなかったら、転職後も不安になるはずです。
ですから、今現在のことだけではなく、未来のことも見据えて知識を得ることができたあなたは、もうすでに転職活動が有利になっているのです。
決してあなたを大切しない人なんかに負けないでください。
あとがき
ぶっちゃけた話、日本人そのものがアホだと思っています。
自分でご機嫌を取れない人には気を遣うくせに、そうでない人にはぞんざいな扱いをする人がいます。
なぜ自分でご機嫌を取れない人の機嫌を取るための労力を使い、そのストレスを怒らない人や気弱な人、物腰の柔らかい人へ吐口として使うのか理解できません。
本来であれば、自分で自分のご機嫌をとれる人や物腰の柔らかい方が、尊敬され大切にされるべきだと思うのですが、世の中そう出ないのが不思議ですね。
ですので、この記事を読んでいるあなたは、自分で自分のご機嫌をとれるよう常に努力をしてほしいと思います。
私もあまり感情的にならず、過ごすように努めています。
何せ、貴重な人生の時間を誰かに依存してご機嫌をとってもらうより、自分で楽しく人生を謳歌した方が何倍も充実した日々を過ごせるわけですから。
あなたも今は不安を抱えていると思いますが、前向きに楽しく人生を歩めるよう努力をしてみてください。
心より輝かしい未来が待っていることを願っています。