Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

教育の目標は報酬を与えること?

はじめに

 最近‥常々、疑問に思っていることがあります。それは、「結果と引き換えに子どもに報酬を与えること」です。学校であれば、シールをあげたり、家庭であればお金を与えたり、ものを買ってあげることが挙げられます。このやり方は、与え方にもよるのでしょうが、今のご時世にあっているのかは甚だ疑問に感じます。

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報酬を与えることが教育の目的?

以下内容

 今回、伝えたいことは「報酬を与えること」が果たして、本当に価値のある方法なのかどうかを考えていただきたく書くことにしました。私達の現在行っている教育は、未だに産業革命の名残りそのものと言えるでしょう。指示通りに動く、言われたことで良い結果を出すことで高い評価をされる、集団で動くことに重きがあり、1人ひとりの発言は価値がない、などが挙げられます。これは、確かに産業が発達した時には重要なことでしたが、今の情報発信が当たり前のこの時代に適しているやり方なのでしょうか?

 つまり、産業革命の時代であれば、何かやったことに対しての結果・成果に報酬を与えることは良い教育だと私も思います。しかし、情報発信ができるようになった時代で、そんなことが必要なのでしょうか。いずれにしても、報酬を与える際に注意しなければならないことは、「嫌のことをやれば報酬がもらえる」や、「何かを得るためにその行為を行う」ことだと私は考えます。実際にこの思考で、子ども達が育ってしまうと人生においての働き方も大きく変わってきます。

 例えば、「嫌のことをやれば報酬がもらえる」だと、将来仕事についた時に、いやいや仕事をしないと給料がもらえない‥そもそも仕事は嫌のことをするのが当然で、その結果として給料を得られるという思考になってしまう可能性があるのです。また、「何かを得るためにその行為を行う」も同様で、そもそもの目的がなければ働く必要がないという思考にもなりかねないのです。学校で例えると、シール(報酬)を与えるようにし、生徒達のやる気を出させるよう、下記のような条件を設定するとします。

条件

・テストで100点を取れば、シールを1枚あげる。

・テスト(5つ)の合計得点が400点以上なら、シールを1枚あげる。

・本を週に5冊読んだら、シールを1枚あげる。

・本を月に15冊読んだら、シールを1枚あげる。 などなど

 このように条件を設定しながら、生徒の学習意欲を高めるようにする取り組みをしていくとします。確かに、ハマるこにはハマってどんどん勉強し、学習意欲は向上するでしょう。一方で、学習意欲があっても能力が追いつかず、シールをもらえない子はどうなるのでしょうか?周りと比較して自信を無くすことや、報酬が得られないので学習意欲が低下することは考えられないのでしょうか。そもそもこのやり方は、本当に良いやり方なのでしょうか。これは、一歩間違えれば「報酬を得るために勉強をする必要がある」と勘違いさせてしまったらかなり危険だと私は考えます。つまり、報酬が得られないのであれば、勉強やその他で何かをする必要はないと思わせてしまうのです。そうなると、損得勘定で動くようになり、自分ができることでも報酬が得られなければやらないようになるとも言えるのです。

 ここまで結構否定的なことを書いてきました。しかし、このやり方が間違っている証拠なんて一切なく、個人的な先入観のみで話をしています。私が伝えたいのは、やり方と生徒に対してどのように伝えるかが問題だと思っています。例えば、シールを与えるにしても、なぜシールにしているのか別の理由を用意する必要があります。例として以下のように教員側が生徒に予め伝えるのです。

・勉強は結果・成果が見えにくいです。

・よってシールを貼りながら、勉強の可視化をやっていきます。

・勉強した時間によってシールの枚数が変わる分かりやすいです。

・当然、シールの多さで良い・悪いはありません。

・シールが少なくても、短い勉強時間で良い点数が取れるのは非常に素晴らしいことです。

・シールが多かったのに、良い結果が出なかったとしても、たくさん勉強をした過程が何よりの財産です。

・シールを得ることが目的でもないですし、目標を設定する必要もないです。

・自分のことを知るために、シールで勉強の可視化をしていきます。 などなど

 このように説明していけば、シールの多さを競ったり、シールをもらうことが目的になったりすることはないと考えられます。

 ここで1つまとめておきたいことは、「そもそもなぜ勉強をする必要があるのか?」です。これは、「人はなぜ学ぶのか」という本に答えが書いてありました。それは、「生きていくために知識を得る」ということです。私達は、昔から学習をしてきました。私達以外の生命もその例外ではありません。だから、くれぐれも勘違いしてほしくないのは、学習意欲の向上ではないということです。自分自身が幸せに生きていくために、どのような知識を身に付けていくのか、それを生徒に理解してもらわなければなりません。確かにシールとかを使ってやれば、その時は学習意欲は向上するでしょう。しかし、その後はどうなのでしょうか?それがなくなった途端に学習をやめてしまうことは考えられないでしょうか。私達が考えることは、長期的な取り組みを習慣づけさせて生徒達に、それを伝えることなのではないでしょうか?

 長くなりますが、もう一つ伝えたいことがあります。それは、情報発信ができる世の中だからこそ、本当に好きなことに熱中させてあげるべきだということです。今は、自分の好きなことを突き詰めて、それを情報発信することで収益を得ている人達がたくさんいます。いや、たくさんできるチャンスが増えたと言った方が良いでしょう。もちろん学校の勉強も大切ではありますが、それと同等に自分自身が心の底から好き過ぎて、気がついたら一日が終わったいたなんていうものも大事です。私達の暮らしや働き方はもう数年経てば、変化し今の常識や考えが通用しなくなってくるでしょう。いざ働き始めて、自分が何をしたいのか、何をやりたいのかわからないことは本当に苦しいことことです。勉強だけを押し付ける教育はもう古いと考えていますし、職場で教員と生徒の会話を聞いていると悲しくなる発言があります。それは、教員がこういう発言をすることです。

「好きなことばっかやっていないで、勉強しなさい。」

 どれだけの人が、自分の好きなこと、やりたいことを知らずに人生で苦しんでいるのか、それに、自分が好きなことをやってはいけない‥その時間を奪われることがどれだけ辛いことか、私は常にギャップと疑念を抱きながら仕事をしています。今後の世の中を生きていくにあたり、自分自身のことを知らないのは本当に難儀になることでしょう。

 一人でも多くの方が、生徒の本当の幸せな未来と向き合っていただけることを切に願っています。