Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

叱ると怒るは全くの別物 初任者、若手教員必見!

今回のテーマは、「指導」です。

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叱るは指導につなげることができる 怒るは‥

 私達教員は、「怒ること」を指導することと勘違いしています。ですが、時にそれも指導になることも否めません。ここで伝えたいことは、指導する際に「怒ること」はあまり必要がない、ということです。

 

 私達が本来行うのは、「叱る」ことです。

 

 では、怒ると叱るの違いとは何でしょうか?

 

 怒るとは、「感情」でしかないと考えています。つまり、自分の感情をぶつけているだけで、別に相手のことは考えていない状態が、怒るなのです。

 

 一方で叱るとは、「相手にいけないところやその改善策を伝える手段」なのです。つまり、ここに感情は一切必要なく、相手のことを考えられるかどうかが鍵となるのです。

 

 例えばですが、忘れ物をした生徒がいたとします。事前に重要な持ち物であることを伝えていますし、教科連絡やホームルームなどでも伝えているとします。この時にどのような対応をするかがポイントなのです。

 

対応例1

 「散々、大事な持ち物と言ってあっただろ!何で忘れるんだ!お前は人の話を聞いていたのか?ふざけやがって。」

 

対応例2

 「何で、忘れたのかな?連絡帳に持ち物は書いた?前日に持ち物の準備をした?」

 

対応例3

 「忘れたらどう対応すれば良い?今自分がとるべき行動を考えてみようか。それに次はどうしたら忘れ物をしないようになるかな?」

 

 この対応例1〜3で怒っていると感じているものはどれでしょうか。文章なのでわかりづらいのですが‥大抵の方は対応例1だと判断したと思います。対応例2も場合によっては怒っているように見えるかもしれませんね‥

 

 つまり、怒ることの大半は「自分の感情を優先する」ことにあります。ですので、相手の言葉に最初から聞き耳を立てることはせず、相手を責める行為になってしまうのです。

 

 一方で、「叱る」場合は、相手の状態や状況を確認し気づきの機会を与えるようにするのです。また、何がよくないのか具体的なポイントを説明するのです。

 

 だから、現場でよくあるのは「怒った」だけで終わり、何がよくなかったのか分からないまま指導(仮)が終わってしまうこともあるのです。

 結果「怒られるから次からはやらないようにする」ということが生徒の中に残り、人間としての成長のチャンスを奪ってしまうのです。果たしてこれを「教育」と呼ぶのでしょうか?

 

 私達は生徒に学び(気づき)を与えなければなりません。だから、生徒が失敗をしても「何がよくなかったのか、次からはどう改善しなければならないのか」そう言ったことを理解させる必要があるのです。それが「指導」であり「叱る」ことが為せる業なのです。

 

 私は悲しくなります。「怒られるから止めよう」という言葉を聞くと‥

 怒られないために、私達は周りに気をつかうのでしょうか?そうではないはずです。怒られる以前に、「なぜそのようなことをしてはいけないのか?」その筋の通った説明をできるようにする必要があるのです。そういう風に考えることができることで、「人間として成長していく」のです。

 

 私達の本文は教科指導でありますが、それに継ぐぐらい「人間を育てる」ことが重要なことなのです。私はこれから教員を続けていく人にこの「怒る」と「叱る」の違いを理解し、説明できるようになってほしいと考えています。そして、生徒達を立派な一人の人間へと育ていってほしいと心から想っています。

 

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怒るより先に生徒の良いところ見つけ出す!

追記

 決して怒ることが悪いとは言いません。例えば、人命に関わることや人権に関わることであれば、怒ることは必要です。怒らなければ怒らないで、人はつけ上がるものです。特にまだ子どもであれば、そういったことは分からないわけですから。

 それに怒っていてばかりいると、「慣れ」ます。だから、どんどん生徒は離れていきますし、聞く耳をもたなくなります(もったフリはします)。

 生徒と信頼を関係は怒るより「認める」ことの方が先です。だから、怒るぐらいなら、生徒の良いところをたくさん見つけた方が怒らなくて済みますし、自分達から率先して良い行動をしていくようになっていくものです。