Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

初任者・若手教員必見!〜生徒を怒る場合とそうでない場合〜

今回のテーマは、「生徒指導」です。

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生徒のことを思うからこそ怒ることができる

 生徒指導で怒る場合は、主に人権に関わることと命に関わることです。

 

 それ以外で特に怒る必要はありません。

 

 私が怒る際に気にしてほしいことは、ただこれだけです。

 

 「感情で怒っているか否か」、そこだけを客観的に見てほしいです。

 

 生徒指導をする際、多くの場合は怒る必要はありません。

 

 その怒りがただ単に自分が感情的になっているのであれば、それは生徒指導として相応しくはありません。

 

 一方で、人権や命に関わる時には、感情を抑える必要はないと考えています。

 

 なぜなら、ダメなものはダメを言うのも教育だからです。

 

 だから、怒る際はそれが怒る必要があるかどうかを判断すべきなのです。

 

 一歩間違えると、生徒との信頼関係を失い今後の生徒指導もうまく回りません。

 

 生徒のためではなく、あなた自身のためにも感情をコントロールできるようになった方が良いのです。

 

 生徒指導の醍醐味は、怒ることにあらず。

 

 生徒指導の醍醐味は、生徒に気づきを与えることです。

 

 だから、怒る前に何が起きたのか、今どうしなければないのか、これからはどうすべきを考えさせなければならないのです。

 

 私はよく、以上のことを生徒に聞いています。

 

 生徒に発言させています。

 

 その方が、また同じ失敗をした時に生徒指導がしやすいからです。

 

 ただ、怒っても生徒からすれば怒られいる理由は理解できません。

 

 なぜなら怒られると初めから分かっていて悪さをする場合はそうないからです。

 

 だから、怒る前よりもその行いがなぜ悪いのかを説明する必要があるのです。

 

 

 日々、ストレスがあり感情のコントロールが難しいですが、だからこそそれができる教員は生徒からも保護者からも、同じ教員からも一目置かれるのです。

 

 今回の話は起こってはいけない、というものではありません。

 

 むしろ、私からすれば感情的になれない教員の方が気持ち悪いと思っています。

 

 私達の怒ってはいけない理由はおそらく、教育委員会の指針的なところにあると個人的に思っています。

 

 ですが、感情的になれないということは、裏を返せば他人に興味をもてないのと一緒なのです。

 

 生徒に期待するからこそ、様々な感情が生まれるのです。

 

 その一つに、怒る、というものがあるのに過ぎないのです。

 

 くれぐれも勘違いをしないでください。

 

 怒ってはいけないわけではありません。

 

 怒る必要性がどこまであるのか、それだけを考えながら生徒指導にあたってください。