Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

怒らせてはいけない教員になる 怖いからではなく、もっと別の理由で生徒にそう思わせる。

今回のテーマは、「怒らせてはいけない教員」です。

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怖いにも種類がある 良い意味の怖い教員を目指す

 まず、「怒らせてはいけない教員」の特徴として代表的なものを挙げるなら、「普段怒らない人」が最も一般的なものになります。

 

 普段怒らないということは、おおらかであったり、常に客観的な視点でものごと見ていたり、本当の怒るタイミングを知っていたり、などそういったことを、理解しているから怒らないのです。

 無論、怒れない教員もいれば、本当に怒らない教員もいると思います。

 

 

 一番の理想は、「あの先生は絶対に怒らせてはいけない」と、生徒に思わせることです。

 

 つまり、生徒達にこう感じされば良いのです。「怒るからにはそれなりの理由がある」や「本当に自分が100%悪いんだな」みたいなことを生徒が思うようになれば、それだけで良いのです。

 

 

 ちなみに私は、「怒らせると面倒くさい教員」と思われています。はたまた、「怒らせたら何をするか分からない人」、要は怒った時が未知数で予想ができない、と思われているそうです‥

 

 まあ、「別の意味で怒らせてはいけない」と、生徒達に思われています。

 

 

 ここで伝えたいことして、「怒られる=怖い」になっている時点で三流以下ということになります。ただ単に怖いという純粋な恐怖感を与えているようでは、教育の本質を見抜けていないということになるのです。

 

 

 

 同じ「怖い」にしても、純粋な恐怖ではなく、何が怒るか分からないという未知数な状態にしておくことが大切なのです。

 

 ただ、恐怖を与えることが重要なわけではありません。語弊がないように言っておくと、純粋な恐怖を与える生徒指導は、量産型教員の典型で全く価値がないということです。

 

 何より一番は、恐怖を与えず、純粋な人間を育てていくのが、一流の教員なのです。

 

 

 

 今回の内容は非常にグレーなところがありますが、私自身生徒指導で「恐怖を与えること」を重要視しているわけではありません。

 

 ありのままに、生徒指導で自分の思いを伝えてきました。その時に怒鳴ったり、感情的に怒ったわけではありません。ただ、冷静に話をしただけです。

 ただ、本当に身に危険がお呼びそうなときは、そんなことはできませんが‥

 生徒が失敗した際に、どうしてそのような行動がダメなのか、人間として成長するためにはどのように行動をしていくべきなのか、自分なりの本質や哲学を伝えながら生徒指導にあたってきました。

 

 

 そういう風になるべく、冷静に理屈や倫理に触れながら生徒指導にあたった結果、いつの間にか「こいつは本当に怒らせたらヤバイやつだ」と勝手に生徒達が思い込むようになったのです。

 

 

 ですので、生徒達も普通に接している分には、私とは温厚な関係を築きながら日々、のほほんとコミュニケーションをとっています。

 

 

 良いか悪いかは、分かりませんが多くの生徒は私のところへ正直に、忘れ物をしたことや失敗したときの報告にきてくれます。

 

 もし本当に純粋な恐怖を与えていたら、そうはならないと思っています。一方で、一番良いのは忘れ物をしないことですし、失敗も自分達で解決できることが望ましいのですが‥

 

 

 まとめると

 

 生徒指導に長けている人ほど、本質を大切にしていることが分かります。

 

 一方で、生徒指導がうまくいかない人ほど、感情的であったり、生徒を支配しようとしたり本質から外れることが多いのです。

 

 

 「怖い」と思われるにしても、生徒がどう捉えるかなのです。そこだけが重要なのです。

 

 

 だから、良い意味で怒らせたら怖い教員になってください。(無理してなる必要もないのですが‥)