Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

多くの教員が勘違いしていること〜教員が生徒を選ぶのではなく生徒が教員を選ぶ〜

今回のテーマは、「生徒指導」です。

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選ばれる教員こそ一年前 選んでいる人ほど指導力不足

 「多くの」は言い過ぎたかもしれませんが、勘違いしている教員がいることは確かです。

 

 教員が生徒を選んでいる時点で、その教員は三流です。

 

 ただ、人間ですので相性はあります。

 

 自分が苦手とする生徒がいるのも事実です。

 

 その時は、連携をして生徒指導を行うのが賢明です。

 

 ここで言いたいことは、自分の好き嫌いで生徒を判断したり、自分の努力不足で指導力を向上させない人、できない人が、三流であることを表しています。

 

 自分が苦手としていることを自覚していたり、自分の能力や性格上誰かしらの力を借りなければならないことを認めることができていれば、問題はありません。

 

 要は、自分の価値基準だけで、自分にとって都合の良い・悪い生徒を判断していることが問題なのです。

 

 そんなことをしている余裕があれば、自分自身の指導力を向上させることに労力を使うべきです。

 

 それに自分の指導力が向上すれば、生徒の好き嫌い、苦手不得意はなくなっていきます。

 

 そうなった時、自分の指導力が向上したことになるのです。

 

 そして、そうなった時には、自然と生徒がこちらに寄ってくるようになります。

 

 つまり、自分の器に見合った人間が近くに寄ってくるようになるのです。

 

 また、自分の器に見合っただけ、生徒が寄ってくるようになるのです。

 

 生徒が多く寄ってくれば、それだけあなたの器が大きいことになります。

 

 だからと言って、寄ってくる生徒が少ないことが悪いことではありません。

 

 必要な時に生徒が寄ってくれば、それだけで良いのです。

 

 ここで言う器とは、生徒を受け入れる器を指します。

 

 その器があれば、生徒に対して安心感を与えたり、信用・信頼をされるようになります。

 

 教育で必要なことは、まさにそれらなのです。

 

 困った時や失敗した時に安心感があれば、自分の過ちを認められるようになっていきます。

 

 頭ごなしに怒ったり、失敗=悪いこと、で片付けてしまうことに問題があります。

 

 一方で、失敗を受け入れ、人としてのとるべき行動を具体的に示してあげれば、生徒は成長しますし、自分で考えて行動できるようになっていきます。

 

 何より、我々の立場で人を選んでいるようではいつまでも未熟です。

 

 私達の方が年上で、立場も強いからこそ、選んでもらえるような存在にならなければならないのです。

 

 優位な立場だからこそ、相手の立場になる必要があります。

 

 それができるようになれば、一人前の教員に自然となれるのです。