Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

教員ほど要注意 知らないことを前提で考える

今回のテーマは、「無知」です。

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そもそも知らないことが当たり前のことである

 私達の悪い癖は、「知っていて当たり前」で接してしまうことです。それは、教員に対しても生徒に対してもです。私は、これを非常に危険だと感じています。そもそも知っていることが当たり前であれば、私達の存在は必要がないのですから。

 

 知らないことに対して興味をもってもらう、何度やっても分からない問題を違う角度から相手が分かるまで根気よく教える、勉強が理解できてもできなくても最終的には好きなってもらう、実は一番最後の記述、これが最強の指導だと想っています。理解できなれば、好きなにってはいけないなんてことはありません。できなくても勉強が好きだと言ってもらえるようになれば、それだけで私達の存在価値はあるのです。もし、それがなければ教員なんて仕事は、私達の存在は必要がないのです。

 極論としては、理解してもらえて勉強そのものを好きなってもらえることが理想ですが、現状では厳しい部分もありますし、実際に取り組んでいて難儀されている方もいます。だから、妥協として上記のようなことを書きました。

 

 これから書くことは、言い方はとても悪いですし、「開き直りじゃないか」と思われますが、そう言ったことではないのでお含みおきください。

 

 教える際、授業やその他の場面で、まずは相手が全く何も知らないということを前提に話を進めていきます。苦しいのですが、毎回の授業でそれができると良いです。前回の授業でやっていることを前提に話を進める場合は必ず、復習を入れることが望ましいです。それがあるだけで、何人かの生徒は安心するでしょう。

 それに、相手が知らないことを前提に話をするのは結構大変です。事前に例え話を考えたり、ある程度のポイントをまとめておく必要があったり、手間、要は準備に時間が取られます。ですが、これをするだけでも半分の生徒は、その授業を理解してくれると想ってくれて良いです。大体は、2割ぐらいの生徒がその日の授業を理解していることが相場ですから、半分の生徒が理解できれば、その授業は立派なものと言えます。

 

 それに丁寧さが伝わるだけで、生徒も安心しますので、落ち着いて授業を受けてくれます。それにこのような授業を継続し、ある時だけ1回ぐらい、難しい内容をやってみるのもありです。事前に生徒へ周知しておいて、難しい授業をすると、気づく子は普段どれだけ綿密に授業の準備をしているか理解してくれますし、自分の実力なんかも把握することができますので、視野を広げてくれることにもつながります。

 

 今回の結論としては、「相手をバカにすること」ではありません。あくまでも教える上で、知らないことを前提にするだけでコミュニケーションが撮りやすくなるのと、事前の準備をするようになるので、相手側の理解度も増し、より勉強を好きになってもらえるようになるのです。

 

 知らないことが前提というのは、相手に対する配慮であり、円滑なコミュニケーションをとる上で欠かせない要素だということを理解していただければです。配慮を感じ取ってくれたり、意思疎通がスムーズになるだけで、生徒は心を開きやすくなってくれますし、そう言った先生の授業は好きになっていくものです。

 

 結局、我々は知らないことを教えていくわけですから、知らないことを前提に考えていかなければならないのですね。(必然的に)