Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

一人称「先生」は厳禁! いますぐに使うのをやめた方が良い理由

今回のテーマは、「指導力」です。

f:id:Taros:20200917205547j:plain

一人称で相手に与える印象は相当変化します

 もし、生徒との会話の中で、授業の中で、一人称を意識していない方は今すぐ、「私」を使うように心がけてください。私達が想っている以上に一人称は重要です。

 

 なぜ、「先生」を使ってはいけないのか?それは、生徒が下で、教員が上だと思わせてしまうからです。リテラシーの高い教員は、すでに気がついていることでしょう。相手が下、自分が上だと思わした時点で、相手の成長する機会を奪うこと、人間として成長を止めてしまうこと、教育でなくなることを。

 

 私達がやってはいけないことは、生徒に私達教員が上の存在だと認識させてはいけないことです。そうなった時点で、もう生徒は自分で考えて行動しなくなり、上の人の言うことを聞いて行動することしかしなくなります。また、権威(威圧感)を醸し出す人の顔色を伺うようになります。私達はそんなことをさせてはいけないのです。

 

 あくまで私達教員も生徒も対等な関係を築こうとしなければ、生徒も自分の心を開かず本当の良し悪しを判断する力や道徳的な思考を養うことはできなくなります。だからこそ、私達は細かい一人称にも気を遣って、生徒と対話をする必要があるのです。

 

 私はなるべく一人称を使い分けるようにしています。生徒の前では、「私」を使っています。怒りを表現するときや部活の時は、「おれ」を使うことが多いです。保護者の方と話す時やベテラン教員なんかと話す時は、「ぼく」を使うようにしています。どのような人と話すかによって、一人称の使い分けもしています。ここまで細くやる必要はないのですが、生徒には十分注意が必要です。

 

 普段一人称をそこまで気にする教員はあまりいません。だからこそ、他の教員とは一味違う感じを出すのにはうってつけでもあるのです。私自身、周りの教員とは違う雰囲気があり、生徒もそれを察しているところがあります。まあ、簡単に言ってしまうと「不気味」なのですね。そう言ったものがあり、怒らず指導しても反省して直してくれることも多々ありますし、どうしてもやばいと想った時は、しっかり厳しく注意する時もあります。普段あまり怒らず温厚でいると、少し厳しめの注意でも怖く感じる不思議な現象が起きます。当然、表面しか怒っておらず、恐怖を与えたいわけでもありません。1つのやり方として例を挙げただけです。

 

 一人称の意識は、誰でも簡単にできます。今からでもできます。是非、取り入れて生徒の成長のためにも、あなた自身の成長を促進させてください。