Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

学級通信 試すことは失敗にあらず

今回のテーマは、「挑戦」です。

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失敗なんてものはそもそも存在しない

タイトル:試すことと失敗は全く別物

以下内容

 私は以前まで、「試すこと」と「失敗すること」は一緒だと思っていました。是非みなさんにやってほしいことは、「試すこと」です。いろいろなことをやっていく中で、自分に合った創意工夫が生まれ、革新的なアイデアが生まれていく人生が楽しくなっていきます。では、まず「試すこと」と「失敗すること」の違いを説明します。

 「試すこと」は、とにかくやり方をいろいろ変えることを言います。例えば、勉強の仕方で1時間集中して勉強をするとします。しかし、集中できませんでした。そこで、今度は30分に時間を短縮してやってみる、という風にやり方を変えていくことです。ここで、大事なのは「それ自体がうまくいくかどうかは気にする必要はない」です。うまくいかなければ、やり方を変えれば良いだけの話です。また、別のやり方を試せば良いのです。とにかく違うやり方を試していく中で、自分自身に合った本当のやり方が分かっていくのです。これは、勉強以外でも同じです。仕事に就いた時もうまくいかなければ、やり方を変えていくしかいのです。そうすれば、いつの間にかうまくいっているものなのです。

 次に「失敗すること」です。これはあくまで個人的な解釈です。そもそも「失敗」なんてものは存在しません。この言葉は2つの意味があると考えています。

 1つ目は、「失敗」を言い訳に改善を諦めるために自分自身に使う言葉です。「失敗」したから、もうやりたくないや次もどうせうまくいかないに決まっているなど、自分で改善を図ることを放棄し、諦めるために、努力を怠るために使うための言葉だと捉えています。

 2つ目は、責任転嫁のために必要な言葉であることです。誰かに「失敗」を押し付けることで、自分自身を正当化するためのものなのです。人間は、承認されたい生き物ので、自分にとっての不都合(失敗)を誰かのせいにできることで安心ができるのです。だから、革新的なことをするのには、今までとは違うやり方が必要になってきます。そうすることで、イレギュラーやストレスがかかる、つまり変化に対応しなければならない環境が生まれ精神に負荷がかかることになります。そのうまくいかないことが、「失敗」の正体なのです。

 考えてほしいのですが、自分がハマっていることがあって、それがうまくいかなくて、それを「失敗」とみなさんは捉えますか?例えば、ゲームをしていて強い敵に、1回破れてそこで、そのゲームを放棄しますか?大抵の人は、その敵について調べたり、レベルを上げたりし、再挑戦するはずです。それでもうまくいかなければ、また別の方法を試すはずです。何回も負けても、最終的にその敵を倒せたとして、今まで負けたことを「失敗」と言いますか?私からすれば、勝てるまで「何回も試した」と言う表現の方がしっくり来ます。つまり、「失敗」とは、自分にしても相手にしても、「何も挑戦をしたくないという言い訳、つまりは怠惰に過ぎない」と私は考えています。

 人間は本当にハマっているものがあれば、いろいろなことを「試して」何回も何回も挑戦するものなのです。私が考える顕著な例は「部活」です。部活をやっていて本当に成長しなければ、すぐに辞めていますし、そもそも練習に出ることすらしないはずです。技能的なものも、今日はうまくいかなくても1年経てば、上達しているものなのです。うまくいかなかった期間は「失敗」にあたりますか?うまくできるようになるまでに「試した期間」になるはずではありませんか?

 失敗を考える余裕があるのであれば、「試すこと」を考えて行動した方が人生は楽しいのです。「試すこと」が多い人は、必然的にチャンスが多くなる人、多く訪れる人になるのです。少なくとも、そう言った人が幸せな人生を歩むことは間違いないことです。