今回のテーマは、「しきたり」です。
タイトル:しきらりは気配りで変えられる相手を思う気遣い
以下内容
私は伝統や文化があまり好きではありません。理由は思考停止し、自分達で考えることをやめてしまうからです。部活の練習なんかでよく目にする光景です。「伝統だからこの練習をするんだ」ということを‥それで、体を壊し選手生命を断たれたら、伝統になんの意味があるのでしょうか?話がそれましたが、「伝統」を嫌うというよりも、「伝統」という言葉で考えるこをやめてしまうことが許せないのです。
一方で、京都に昔からあるならわしとして「門掃き」があります。これは、お互いの境目を30cmを超えて掃きます。そうすることで、お互いの境目が2回掃くことになるので、そこはきれいになります。そういったお互いの気遣いである「しきたり」は私は好きです。しかし、境目を超えて自分の敷地を掃除されてしまうと、これは半人前扱いされることになってしまうのです。
ですが、時として相手の敷地を掃くこともあるのです。例えば、隣さんや向さんに事故やケガが起きてしまい門掃きができない状態にあった時、気を遣い掃除をすることになるのです。これは相手を半人前扱いする行為ではありません。相手を思っての行為になるのです。
しきたりで決まっているから、それを変えることは無い、にはなりません。周囲の状況によって、柔軟に変えていくことができるのが「しきたり」なのです。だから、私はしきたりが好きなのです。柔軟に変えることができるのは、それは「考えている」からなのです。考えて状況を判断しながら、行動できることに価値があるのです。それが人を人間として成長させていく栄養になるのです。
みなさんも思考を止めず、常に考えながら行動をし、自身の成長につなげてください。相手を思いやれる気持ちや、本当にこれで良いのかと疑問に思う心がなくなった時点で人はあゆみを止めるのです。そのような人生になっていくと幸せが逃げていきます。私はそうなってほしくないと常々思います。だからこそ、思考を止めずに常に考えて行動してほしいと願っているのです。