Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

学級通信 当たり前を疑う

今回のテーマは、「常識」です。

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常識や知って当たり前を捨てよう

タイトル:勉強は常識を捨てるために行う

以下内容

 学校で勉強をし、テストで良い点数を取ると頭が良くなります。つまり、知識が増えていきます。知っていることが多いと、頭でっかちになり知識がない人に対して、「そんなことも知らないの?」、「常識だよ」、「当たり前」など、そんな言葉を使ってしまうでしょう。しかし、「常識」や「当たり前」は本当にそうなのでしょうか?私達は本当に全てのことを知っているのでしょうか?たまたま、ある知識の中で知っているものがあっただけで、知らないことの方が多いのです。

 ここで言いたい事は、人は「自分の先入観の中で知っていることが当たり前」で話を進めてしまうことなのです。本来なら、何かを話すときや教える時は「相手は何も知らない」や「教えたことを忘れる」など、そういったことを前提に行わなければならないのです。それは、相手を見下すのではなく「失敗を前提に考える習慣」が大切なのです。ついつい私も、「当たり前」と言ってしまうことがあるのですが、これは非常に危険な言葉なのです。これは自分にとっても、相手にとっても良い影響が出ないのです。むしろ、お互いの可能性を奪う言葉なのです。

 まず、自分にとっては学ぶ機会がなくなります。当たり前や常識を疑わない事は、新たなる可能性を見出すことができないのです。もっと良いやり方や方法などがあるかもしれないのに、それを考えず今のやり方が正しいを思い込み、自分で考えることを止めて成長できなくなるのです。

 また、相手にとっても同じことが言えるのです。当たり前や常識と言われたら、その人も自分で考えられなくなります。それに何か困った時に質問をすることもできなくなってしまうのです。ですから、相手にとっての学びのチャンスを奪ってしまう言葉なのです。

 それだけ、当たり前や常識をいう言葉は自分と相手の可能性を奪ってしまう危険な言葉のです。そうならないために、私達は勉強をしているのです。勉強は知らないこと知るために学ぶ学問なのです。当たり前や常識を身に着けるためのものではないのです。私達は本来、勉強をして知識を増やしていくことではないのです。自分にはまだまだ知らないことがあることを知るために学ぶ学問なのです。つまり私達は、勉強をして自分達の可能性を増やしたり高めていくものなのです。だから、勉強は大切なものなのです。みなさんも勉強をする意味を再度考え直し、日々精進してほしいのです。