Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

学級通信 いじめをしてはいけない本当の真実

今回のテーマは、「いじめ」です。

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何も無い人間は奪うことしかできない

タイトル:いじめをする人間には本当の幸せを手に入れることはできない

以下内容

 「いじめ」という行為は、人間として最低な行為です。何が最低か?いじめの対象となった人の心を、傷つけ不快な気持ちにさせ、その人の自信や存在価値を奪うからです。何より、いじめを行うことで自分の居場所を作ろうとすることは、もはや人間としての行為とは呼べないでしょう。いじめが起こる原因は、様々あります。例えば、自分自身が満たれないがために、誰かを傷つけて優位に立とうとするのです。それが一番簡単で手取り早く、快楽を得る合理的な手段だからです。何かに対して努力をしようとなると、相当な労力や忍耐が必要になり、続けるのが困難になります。だから、時間をかけずかつすぐに快楽を得られる「いじめ」という行為に及ぶのです。

 では、「いじめ」は誰かを傷つけるから最低な行為になるのでしょうか?実は、それ以上に残酷な真実が「いじめ」には隠されています。それは、「自分自身の幸せになれる人生を捨てている」です。世の中にはたくさんの幸せな人達がいます。彼らは、どうして幸せなのか?単純に、自分自身の幸福を分け与えているからなのです。誰かを楽しませたり、喜ばせたり、人のためになる行動を常に撮り続けています。そうすることで、本当の幸せを手に入れているのです。一方で、「いじめ」‥人から何かを奪う行為をしている人は、いつまで経っても幸福になることはできないのです。当たり前です。人は誰しも、奪う人間から離れていくものです。奪われるということは、奪われている人はいつまで経っても不幸なままです。だから、その不幸を抜け出すために、奪う人間から離れていくのです。

 つまり、「いじめ」という行為は、お互いが不幸になる行動でしかないのです。私達は、幸せな人生を送るために生まれてきたのです。それなのに、いじめをしていたら我々本来の生き方ができないのです。だから、他者に対して何かを与える行為ができないと、本当の意味で幸せを掴み取ることはできないのです。

 まとめになりますが、いじめの正体とは、「いじめをする人自信が自らを不幸とアピールする可哀想な行為そのもの」です。他社から奪うことで、自分の一時的かつ身勝手な幸せを手に入れる手段に過ぎないのです。もし、満たされていない自分に気がついたら、まずは日常で「ありがとうございます」を言ってみましょう。その言葉が出るほど、自分が誰かにしてもらっているということに気がつけます。そして、一歩ずつ自分自身の幸せにつながっていきます。