Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

初任者・若手教員必見!〜教員の市場価値が上がらない理由 結論:幕の内弁当〜

今回のテーマは、「市場価値」です。

 

 教員は、市場価値が上がりにくいです。

 

 理由は、「幕の内弁当」だからです。

 

 幕の内弁当は、無難です。

 

 バランスの良いおかずが揃っているのでハズレがないです。

 

 一方で当たりもないです。

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器用貧乏は損 何か1つに秀でる能力が必要

 要は、器用貧乏だと市場価値が上がりにくいのです。

 

 それよりも、生姜焼き定食、牛カツ弁当、みたいにメインであるおかずがわかっている方が市場価値が上がりやすいのです。

 

 実際の仕事で考えてみましょう。

 

 教員は仕事をただ卒なくこなすだけです。

 

 だから市場価値が上がりにくいです。

 

 如何せん仕事量が多いので、1つのことを徹底的に行う教員よりも何でもできる教員の方が重宝されます。

 

 一見良いように見えるのですが、実は逆です。

 

 自分の価値を下げる行為なのです。

 

 例えば企業であれば、何でも卒なくこなすよりも、営業で実績をあげた人の方が評価されます。

 

 そう、何か1つに秀でた方が、市場価値が上がりやすいのです。

 

 つまり、「この仕事においてこの人の右に出る者はいない」と思わせることが市場価値を上げる行為になるのです。

 

 ただ、それを教員の世界で行うのは厳しいです。

 

 なんせ、多くの仕事を引き受けている教員が評価されるので、何かおいて秀でるという現実的に難しいのです。

 

 かつ、それをやって適正に評価されるかも怪しいので、そこまで必死にやる必要があるのかもわからないです。

 

 企業であれば、売り上げという数値が最終的な証拠になりますが、教員はそうではないのです。

 

 今必死に働いていることを否定はしません。

 

 一方で、必死に働く価値があるのか?

 

 そこが重要です。

 

 現在、独立をして食べていける人はまさにそれだからです。

 

 自分が価値あることを必死にやって実績を上げています。

 

 逆にやりたくないことをやり続けて、実績をあげている話はあまり耳にしません。

 

 若い時だからこそ、どんな仕事にも一生懸命向き合うことができます。

 

 というか気力があります。

 

 ただ、年齢を重ねるごとに体力や気力も少しずつなくなってきます。

 

 現に私は気力がなくなっています。

 

 だから、必死に働くにしても自分が価値あるものを見定めながら取り組む必要があるのです。

 

 最初は仕事の価値がわかりませんが、続けるとそれが自分にとって価値があるかどうかわかってきます。

 

 続けたいと思う仕事を続け、そうでないものは切り捨てればいいのです。

 

 そうすれば、幕の内弁当になることは避けられます。

 

 ただ、あなた自身が幕の内弁当を望むのであれば、それはそれで良いと思います。

 

 私は幕の内弁当になりたくないので転職することにしました。

 

 

初任者・若手教員必見〜私が教員を続けて良かったこと 教員の闇の正体を知れた〜

今回のテーマは、「転職」です。

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教員の闇があらわになりました

 私は、教員を続けて良かったと思っています。

 

 もし、3年前に辞めたいたら、ある真実に辿り着く前に退職していたことになるので、後悔していたと思います。

 

 今は、その真実にたどり着いたので心がスッキリしています。

 

 また、気兼ねなく教員を辞めることができます。

 

 では、早速その真実について語っていきます。

 

 なお、あくまで私の真実です。

 

 あなたに該当するとは限りません。

 

 一意見として参考にしてください。

 

 

 

 教員を続けてたどり着いた真実は、「教育界の闇を知ることができた」ことです。

 

 では、ここでいう闇とは何か?

 

 それは、「昔ながらの慣習に今もなお縛られ続けている」ことです。

 

 そして、そこから脱却できずにいることです。

 

 これが、教育界の闇の正体です。

 

 

 企業では、会議の時間を少なくしたり、ペーパーレスにしたり、時代にあった取り組むを行い進めています。

 

 また、明らかに無理のある仕事は切り捨てたり、しなくて良い仕事を無くしたりもしています。

 

 そういった風に、試行錯誤や改善を行いながら業務を進めています。

 

 一方で、教育界といえば、仕事が増える一方で新しい取り組みにも時間がかかり、今の時代にあった対応ができていません。

 

 大人の怠惰が、生徒達の社会進出の枷となっている現状があります。

 

 また、部活も教育活動外の取り組むであるのに関わらず、それに力を入れる教員は多いように思えます。

 

 部活に力を入れるのは良いのですが、そういう人ほど授業に力を入れていない傾向もあるので厄介です。

 

 部活に力を入れる理由も分かります。

 

 それは、生徒を支配しやすいからです。

 

 その部活をやりたくて入ってきたわけですから、顧問に従うのは当たり前なので、王国を作りやすく、顧問が気持ちよくなってしまうのです。

 

 だから多くの場合、部活は顧問の王国であることが多いのです。

 

 それ以外に仕事の改善はしにくいです。

 

 年配の方も多く、新しいやり方に順応できず枷となるのです。

 

 どうしても紙でなければならない、会議は長くやることに価値がある、などさまざまなところに弊害が生まれているのです。

 

 これらを改善していくには長い年月が必要です。

 

 特に若手のみなさんが年配になる頃にやっと変わってくるかもしれません。

 

 それほどに教員の対応は遅いので覚悟が必要です。

 

 なんせ、今回のコロナの対応でさらに闇が明らかになったと思います。

 

 各自治体で休校等の判断をする…

 

 これの判断は一番上に立つ人が行うものです。

 

 なぜなら、一番上に立つ人が責任を負わなければならないからです。

 

 コロナの対応を見てもたらい回しにし、学校に責任を押し付けるように仕向けている感じが取れてしまいます。

 

 他にも挙げたいことがあるのですが、最後に一つ書きます。

 

 明らかに仕事量の差が激しすぎるです。

 

 全然仕事をしていない人がいるのに、その人に仕事が回らずこちらに仕事が回ってくるのはおかしい、と思っています。

 

 どう見ても暇な人がいるのですが、その人に仕事がいきません。

 

 こちらに仕事がきます。

 

 そして給料はそっちの方が上で、休むも多くストレスが少ないという現実です。

 

 最近それに嫌気がさしてきました。

 

 そして教員という仕事に冷めてきました。

 

 何より貴重な自分の人生の時間を、これ以上教員に使うのはもったいないと思うようになってきました。

 

 

 だから、そういったこと気がつけたので私は教員を続けて良かったと思っています。

 

 自分自身の人生について真剣に考えることができたからです。

 

 正直な話、今の教員を続けているのは辛いです。

 

 ストレス半端ないです。

 

 本当はいますぐに辞めたいです。

 

 残り217日も教員生活が残っていることに絶望しているくらいです。

 

 ただ、矛盾する話、ここで辞めたらそれ以上に後悔をして人生を過ごすことになると思っています。

 

 私が納得できないのは、中途半端で教員を辞めることです。

 

 だから、残りの半年程度の教員生活をなんとか乗り切りたいと思っています。

 

 

 

 

 しかし、あなた自身は無理をしないでください。

 

 若ければチャンスは多いです。

 

 私は30になったのでこれからのチャンスは掴みにくくなっていきます。

 

 どうか若い時間を大切にしてください。

 

 私は保証できませんが‥

初任者・若手教員必見!〜教員の世界で生き残れる人とそうでない人〜

今回のテーマは、「退職」です。

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あなたはどのような状態? それを先に理解する

 ダーウィンは言いました。

 

 「より強いものが生き残りるのではない。変化に対応できるものが生き残るのだ」と…

 

 その通りだと思います。

 

 でなければ、私たちは滅んでいます。

 

 こうやって生きているのも時代の変化に対応できたからです。

 

 ただ、教員の世界はその逆です。

 

 より強いものが生き残ります。

 

 一方で、変化に対応できる人は、転職をします。

 

 これが真理だと私は思っています。

 

 これから教員を続けられる人は、時代の変化に対応できない人だと私は思っています。

 

 なぜなら、現に教育現場は昔からのやり方やシステムが変わっていないからです。

 

 また、変えられない現状があるからです。

 

 逆に時代の変化に対応できる人は、それがストレスとなり仕事にやりにくさを感じていくことになります。

 

 結論を言うと、教員の世界は「合理性が皆無」なのです。

 

 だから、時代に適応できる(合理性のある)人は転職をして、より良い生き方をしていきます。

 

 ただ、教員を続けられる人のことを悪く言ってるのではありません。

 

 あくまで傾向としてそういうふうになる可能性が高いという話をしています。

 

 教員を続ける人でも時代に対応しながら、器用に立ち回ることができる人もいます。

 

 自分がどっち寄りの人間なのかは、考えていた方が良いです。

 

 何より、時代に対応できる人は教員を続けていても大丈夫な人です。

 

 なぜなら、何かあったときに退職もスムーズにできるからです。

 

 一方で、そうでない教員はより学校に対しての依存度が高くなります。

 

 その傾向として、学級王国を作ったり、部活で権威を振るったりなどそういったマウントを取ってくることでしょう。

 

 そういう人達の集まりが、これから学校になってくることは予想が付きます。

 

 

 そのような未来があるとしても教員を続けていくことができるのなら、それはそれで構わないと思います。

 

 私は正直、それについていくのがバカバカしくなったので、転職を決めました。

 

 あなたも教員の将来性を考えて仕事を続けるかどうか判断した方が良いです。

初任者・若手教員必見!〜危険信号は出ています あなたは鍋に入れられた蛙です〜

今回のテーマは、「仕事内容」です。

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温度が上がっていることに気がつけずに終える

 あなたは、「鍋に入れられた蛙」です。

 

 この単語でピンときた方もいると思います。

 

 結論

 

 あなたは今の働き方をしていると、自分を追い込むことになります。

 

 これが私の言いたいことです。

 

 教員の仕事はゴールがありません。

 

 やろうと思ったらいくらでも仕事ができます。

 

 現に今がその状態だと思います。

 

 コロナ対策、部活、担任、校務分掌、その他もろもろ‥

 

 教員の仕事の欠点は、仕事を無くすことができないことです。

 

 これだけ多忙になっているのにも関わらず、仕事がなくなるどころか増えています。

 

 だから、教員は教員の仕事に殺されることになるのです。

 

 「鍋に入れられた蛙」とは、常温である鍋に蛙をいれ、少しずつ温度を上げていくことを指します。

 

 そうすると蛙はその温度変化に気がつかずに、茹で殺されます。

 

 一方で初めから高温のお湯に入れると、熱くて鍋から逃げるのです。

 

 教員の仕事もこれに似ているところがあります。

 

 今と昔では、部活等に対する保護者の要望も大分変わってきています。

 

 とにかく、クレームさえ言えば学校は対応してくれると思っています。

 

 現に今の学校はそうです。

 

 それで教員の負担が増え、それが当たり前だと思い、それが異常であることに気が付けずに自分で自分を追い込むことになるのです。

 

 何よりタチが悪いのは、自分自身で心の変化に気がつけないことです。

 

 普通、外傷を負えばその傷を癒すため消毒したり、絆創膏をはるなどの措置をとります。

 

 一方で、心の方はどうでしょうか?

 

 自分が傷ついることや追い込まれていることに気がつけず、気がついたら心を病んでしまった。

 

 そんな状態になってしまいます。

 

 また、厄介なことに心のケアの仕方がわからない場合もあります。

 

 

 

 

 私は「鍋の中の蛙」にならないために読書をしています。

 

 特に、「反応しない練習」や「ひろゆきさん」の本を読み、心を癒したり、仕事に対する価値観を変えています。

 

 読書をするだけで自分を客観視することができるので、鍋の中の蛙は回避することができます。

 

 鍋の中の蛙にならないためには、「常に読書をし客観的に自分を見ること」が大切なのです。

 

 まず自身が、「鍋の中の蛙」になっていないか、考えてみることをおすすめします。

 

 そうでなければ、教員としての力量を高めいった方が良いです。

 

 もし、そうだとしたら少し人生について考えてみるろ良いです。

初任者・若手教員必見!〜徐々に明確になってきた私の転職(仕事)の答え〜

今回のテーマは、「転職」です。

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最高の暇つぶし それこそが仕事

 不謹慎ですが、休暇をいただき遠出をしました。

 

 久々に森林浴を行ってきました。

 

 そこで、徐々に私が仕事に対して求めているものが、明確になってきたことを理解しました。

 

 また、Youtubeや本などからも、その答えを見つけ出すことができました。

 

 しかし、それはまだ実現できていないので、今はただの空想です。

 

 これからは、その空想に向かって歩んでいきます。

 

 ちなみにその空想の正体は、「仕事は最高の暇つぶし」です。

 

 仕事は今の時代、「自分の働き方次第でお金がいくらでももらえる」という結論に至ったのです。

 

 当然、誰もができるわけではないのですが、そう閃いたのです!

 

 そして、それに気が付けたのは今日の休暇があったからです。

 

 今日、ぽ〜っとしながら、ふと思いました。

 

 休日にこんなのんびりできる自分は幸せだと。

 

 そこで、仕事と休暇のバランスが大切であることに気がつきました。

 

 如何せん、休みがないのが当たり前だったので、今になってようやくそこに気がつくことができました。

 

 また、仕事もハードなものではなく、時間にある程度ゆとりをもてるのなら問題ないことにも気が付きました。(週休二日制土日祝日出勤なし)

 

 そして、休暇は少し遠出をして、ぽけ〜っとして過ごせれば良い、と思ったのです。

 

 すごく単純な答えに行き着くました。

 

 今までの私は、仕事に居場所を求めたり、活躍を求めたり、とにかく欲求不満なのか承認欲を満たしたかったのか、執着してばかりでした。

 

 ですが、ある本に「生きる意味はない」、「自分が仕事をしなくても会社は回る」、「仕事に意味はない」など、そういったことが書いてあり、そこまで仕事にこだわる必要がなくなりました。

 

 今までは教師の仕事に魅了を感じましたが、もう冷めました。

 

 何より、教師以外にも自分が魅力を感じる仕事があるので、これだと思ったものに挑戦していくことに決めました。

 

 ただ、現状も仕事にはストレスを抱えているのですが、少し気が楽にはなりました。

 

 これからは、仕事を「最高の暇つぶし」にできるようシフトしていきます。

初任者・若手教員必見!〜体が快感に感じることは体に悪い〜

今回のテーマは、「健康」です。

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頂上に聳え立つはバビルの塔 まさに真夏の愉悦

 私はこの季節の外部活が嫌いです。

 

 なぜなら、「キンキンの冷えたビールがマジで美味い」からです。

 

 喉が渇き始め、空腹を感じ、疲労感が溜まってくると、この状態をキープしたくなります。

 

 まず、この時点で体に悪いです。

 

 そして、そのあとは水分補給も一切せず、食事もせず(軽食含む)、家に帰ってキンキンに冷えたビールを飲み干すだけです。

 

 これもまた体に超絶悪いです。

 

 ですが、体に悪いからこそ快感を覚えるのです。

 

 私はこれの中毒者なので、夏の外部活が嫌いなのです。

 

 言いたいことはわかります。

 

 そんなことはやらなければ良いと…

 

 わかっているのですがやってしまうのです。

 

 現にこのブログを書いている今も私は何も口にしていません。

 

 このあとシャワーを浴びて、キンキンに冷えたビールが飲めたら最高以外の何も出ありません。

 

 「真夏の愉悦です!!」

 

 若いみなさんも気をつけてください。

 

 今はできますが、今後このようなことはできなくなります。

 

 一番良いのは、こんなことをしないことです。

 

 一度やると抜け出せなくなるほどの中毒性があります。

 

 ただ、みなさんの人生なので、こう言った快感を味わうために体に悪いことをしても自己責任です。

 

 注意してほしいのは、それで周りの迷惑になることは避けてください。

初任者・若手教員必見!〜心に余裕がないときには幸せに気がつくことはできない〜

今回のテーマは、「幸せ」です。

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些細なことで喜べない時は心に余裕がない時

 私は本日まで、多大なストレスを抱えて過ごしていました。

 

 しかし、先ほどをもって少し肩の荷が下り、気持ちに余裕が生まれました。

 

 私は仕事の帰り道に、今日あった学校の出来事を思い出しました。

 

 その中で思い出したのは、「生徒と笑顔であいさつをしたこと」でした。

 

 実はその子とは、いつも笑顔で接しています。

 

 というか、その子が笑顔なので私も笑顔になってしまうのです。

 

 それで、ストレスから解放された(安心を感じた)ことから、その子の笑顔を思い出し、「今日はとても良い1日だったな」と思いました。

 

 そのとき、これで幸せを感じられる自分は本当に幸福なんだなと思いました。

 

 こんな近くに、自分の幸せがあることに気がつくことができなかったなんて…

 

 それほどまでに、私は心に余裕がなかったのです。

 

 正直、幸せというものはそんな些細なものだと思います。

 

 今までできなかったことが少しずつできるようになったり、人との関わりの中でお互いが良い思いをしたり、そんな普通のことが実は幸せなんだ、ということに気がつきました。

 

 そしてそれは、単純であればあるほど良いものだと思います。

 

 それに固執してしまうと逆に執着となり、不幸となってしまいます。

 

 何気ない会話、何気ないスキンシップ、何気ない気遣い、そういった小さなことに喜びを感じれることが良いことだと私は思っています。

 

 そんなことがあったので、私は明日から普通に学校に出勤できそうです。

 

 何か1つでも幸せがあると、気持ちは前向きなることを知りました。

 

 

 

 

 

 

余談

 

 多くの先生はそうかもしれませんが、最近生徒から懐かれるのが特技だと思えるようになりました。

 

 というか甘えてくる生徒が多いように感じています。

 

 そう!ただの勘違いです。

 

 私の顔をみるや否や「○○先生だぁ!」という言葉をよく聞きます。

 

 私も「何?」と反応すると

 

 生徒は「今日は○○」じゃないんですね。

 

 とか、服がいつもと違うだけで「誰?」というような反応を生徒が示してくれます。

 

 多分、その正体は「ギャップ」なんだと思っています。

 

 真剣な顔でシュールなことを言ったり、見かけにそぐわずおちょこちょいだったり‥(自分で言うのも変ですが)

 

 ただ、生徒からは「かわいい」と言われることは多いです。(私は男性です)

 

 結論、隙があった方が生徒は寄ってくる、ということです。

 

 

 最後は与太話になりました。

 

 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。