Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

初任者・若手教員必見!〜私部活廃部にできませんでした 残ったのは罪悪感だけ〜

今回のテーマは、「部活」です。

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部は存続 私も顧問を継続 残ったのは罪悪感だけ‥

 私は夏休み前に、部活で一悶着起こしました。

 

 そこで部員達が退部してきました。

 

 私は、それで他の部員も辞めて退部をすると思っていました。

 

 しかし、数人だけ残る事になりました。

 

 当然、退部しなければ部活動を行なったか?

 

 行なってないです。

 

 なぜなら、部活よりも身の安全が大事なので、何があっても部活はしなかったです。

 

 私が一番恐れているのは、クラスターはもちろんのこと、「後遺症」です。

 

 彼らはこの先、長い人生を生きていかなければなりません。

 

 ですが、ここで後遺症が治らなかったら、そのハンディを背負って生きていかなければなりません。

 

 それは、その子の未来を奪うことになるのです。

 

 だから、私は今部活をしたくないのです。

 

 ただ、粘った結果、連絡は何もなかったので9月に大会は行われます。

 

 そのため本日から練習を再開しました。

 

 結果、6名ほど残ったので廃部にはなりませんでした。

 

 ですが、試合に出るには人数が足らず四苦八苦しているところです。

 

 矛盾しますが、なんとしても彼らを試合に出すことが私の使命であり、コロナに感染させないこともまた私が果たすべき役割になります。

 

 正直別の意味で辛かったです。

 

 私に愛想を尽かし、全員が退部してくれれば私は気が楽でした。

 

 ですが、数名残ったためにまだ、私についてきてくれる子いることを知りました。

 

 さらにタチが悪いのは、誰も私のことを責めなかったことです。

 

 私は責められると思っていました。

 

 もう、私の言葉に耳を傾けてくれないと思っていました。

 

 しかしそうではなく、今まで通りの感じに接することもできれば、練習をすることもできました。

 

 だから、私の中には今、罪悪感しかないのです。

 

 残り半年、私を見捨てなかった6名の部員のために私は精一杯顧問を努めることにします。

 

 この1ヶ月間、毎日部活のストレスに悩まされましたが、これからは少しずつ前を向いて歩いていくことができそうです。

初任者・若手教員必見!〜時間が平等は嘘 若い今を大切にする〜

今回のテーマは、「時間」です。

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仕事で奪われるものは時間ではない 自分の生き方を見失わせる



 極論を言うと、みなさん一人ひとりの寿命は違います。

 

 だから、時間は決して平等ではないのです。

 

 ただ、今回話したいことはそれではありません。

 

 あくまで今回伝えたいのは、「1日24時間が平等に与えられていない」ということを伝えたいです。

 

 また、「なぜ時間が大切なのか」、そこの部分についてもお話しできればと思います。

 

 まずは、「時間が平等ではない理由」です。

 

 これは、言わくても理解している人が多いです。

 

 時間が1人ひとり平等ではないのは、出勤する時間と退勤する時間が違うからです。

 

 さらに掘り下げると、起床・就寝時間も違いますし、仕事量も違うので私達は平等に時間が設けられていないのです。

 

 中でも厄介なのが仕事なのです。

 

 これが一番偏りが出やすいものになりますので、時間を奪う原因になりやすいです。

 

 ただ、これを解消するパターンは2つあります。

 

 まず1つ目は、「断る」です。

 

 例えば、自分がやらなくてよい仕事であったり、切羽詰まっていれば断るのが良好です。

 

 無理して引き受けても約束を守れなかったり、仕事が雑になって返って信頼を失います。

 

 この機に、断る勇気をつけてください。

 

 ただ、すべて断るとそれはそれで負担が増すので、自分が許容できる限度も確かめながら行うのが良いです。

 

 次に、「任せる」です。

 

 自分以外の人でもできる仕事は、任せるようにしてください。

 

 ポイントは、手が空いていそうな人に頼むことです。

 

 それでも厳しいようであれば、共同作業で行うのが手っ取り早いです。

 

 案外自分がやらなくても回るのです。

 

 極論ですが、自分ができなくてそれで組織が回らなかったら学校は崩壊しています。

 

 厳しい言い方をしますが、別にあなた一人ができなくてもなんの問題もないのです。

 

 だから、人に任せられることは任せてしまった方がいいです。

 

 

 

 ここまで、話したかったことは「仕事の偏りが時間を奪う」というものでした。

 

 ただ、今回一番あなたに伝えたいことは、「やりたいことがわからなくなる」です。

 

 教員生活7年目となったのですが、日々業務に追われ、仕事のことしか考えない状態でいたら、私自身何がやりたいのか。今後どうしていきたいのか、分からなくなってしまいました。

 

 時間に追われることは、時間を奪うのではなく「思考を奪う」のです。

 

 私は大学を卒業するぐらいに登山にはまったり、ボルダリングにハマりました。

 

 しかし4年ぐらいもうやっていません。

 

 お正月に山小屋泊をする程度で、日頃の休日には行けていません。

 

 正直、退職後自分はすぐに死ぬと思っています。

 

 なぜなら、やりたいことがないからです。

 

 それに、退職後に体力が残っているかも怪しいので、登山やボルダリングができるとも限らないのです。

 

 私が声を大にして言いたいことは、「若いからこそ、体力があるからこそ、様々な挑戦ができる」です。

 

 20代で会社を立ち上げて、仮に倒産してもダメージは少ないですし、もしかしたら成功するかもしれません。

 

 ただ、年齢が上がるにつれてそういったこともやりにくくなります。

 

 また、自分を支援してくれる人もいるとは限らないのです。

 

 なぜ、若い人は支援をしてもらえるのでしょうか?

 

 それは、「時間がある」からです。

 

 若い人には多くの時間があります。

 

 それが、成功する率も上げると言っていいでしょう。

 

 当然、体力や吸収力も挙げれます。

 

 ただ、一番は若さ(時間)というリソースなのです。

 

 だから、私は今という時間を大切にし、自分が幸せになれるよう取り組んでほしいのです。

初任者・若手教員必見!〜自分の人生を見据えるチャンスはコロナ禍にあり〜

今回のテーマは、「転職」です。

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自分の価値観と職場の価値観は一致していますか?

 私は、今のあなたの学校現場の動きを見て、教員を続けるかどうか判断をした方が良いと伝えます。

 

 特に、このコロナ禍であるからこそ、教員に対する将来性を考えてほしいのです。

 

 あなたの学校は、コロナに対応するための措置や行動ができていますか?

 

 正直私のところは全然できていません。

 

 妊婦さんの子どもが命を落とし、子どもの命ですら救えない状態になったいる中、学校は何も対応を考えていないのが現状です。

 

 私が言いたいのは、「まだ他人事だと思っている」ということです。

 

 これだけ医療が逼迫しているにも関わらず、感染者が増えているにも関わらず、なぜこうも他人事にように思えるのか、それが不思議でなりません。

 

 学校では感染対策を徹底と謳っておきながら、一番感染の危険がある部活は平気でやらせている。

 

 命の危険があるのに、部活をやっている顧問は評価され、そうでない顧問は非協力的という風に揶揄させる状態です。

 

 本題に戻ります。

 

 若い人達が、今後どのように教員に対する将来性を考えていくのか、それを考えるのは簡単です。

 

 今の自分の価値観と職場の価値観に激しい相違がないかです。

 

 価値観の多少の相違はありますし、それが妥協できるのであれば全然問題ありません。

 

 一方で、価値観が全然合わないと思うのであれば、それはすぐに転職の準備をすべきです。

 

 今はYoutubeとかあるので、「教員 転職」で検索をかければたくさんのヒントが出てきますので、調べるだけでもやっておくべきです。

 

 これから2学期が始まりますが、そこで学校の動きをしっかり見て、自身で考えて判断するべきです。

 

 正直、たくさんの見るべきポイントはありますが、一番手っ取り早いのは「価値観の相違」です。

 

 自分が働きたいと思える職場なら、精一杯学校の力になってほしいです。

 

 

 

 

 

 

余談

 

 私が最近転職関係の記事を書いているのには理由があります。

 

 それは、「日本は学校に囚われている」です。

 

 保護者にしろ、教員にしろ、一番囚われているのが「部活動」です。

 

 学校は勉強する場所なのに、「部活動をやる場所」と勘違いしている人が多いように思えます。

 

 保護者の世代であればそうかもしれませんが‥

 

 ただ、私が一番違和感を感じているのが、「教員の部活に対する執着」です。

 

 本来、授業を教えるのが教員の、我々の仕事のはずなのです。

 

 ですが、授業そっちのけで部活を優先、部活のことしか考えていない教員が少なからずいるのは事実です。

 

 ただ、気持ちは分かります。

 

 「部活」が一番、結果を出しやすいからです。

 

 というか、生徒をコントロールしやすいからです。

 

 だから、自分の王国を築くことが優越感に浸ることができ、部活に熱心になってしまうのです。

 

 そこを保護者も勘違いしている節があると思います。

 

 また、保護者世代は勉強よりも、部活を頑張っていた世代が多いと思います。

 

 だから、勉強は二の次で部活を頑張るところが学校であると勘違いしているのかもしれません。

 

 それに保護者からしても部活が一番、自分の子どもの承認欲求を満たせる場所になるのだと思います。

 

 そういった背景から教員、保護者ともに部活に囚われているのだと思います。

 

 というか顕著にそれが分かったのが、コロナ禍という環境です。

 

 未だに平然と部活をやっていることに疑問を持たない教員や部活をやらないことに対する保護者のクレーム、ここまでのものとは思いませんでした。

 

 若い人はこれから部活熱心になると、教員を続けるのが困難になる恐れがありますので注意が必要だと私は考えています。

 

 

初任者・若手教員必見!〜私が仕事を辞める理由 転職で求めていること〜

今回のテーマは、「転職」です。

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疲れた‥ただそれだけだ‥ もう、すべてを失って良い‥

 私が転職する理由は、「今の仕事に疲れたから」です。

 

 まだ20代の時は、忙しくてもそれにやりがいを感じていたのですが、30になった今はもうそれがありません。

 

 純然たる疲労感だけが私を襲ってきます。

 

 疲れた理由もありきたりなもので、一番は仕事の量が多いことです。

 

 というか、何でもかんでも仕事が回ってくるので、それに疲れました。

 

 断れば良いのは分かっているのですが、中々そうはいきません。

 

 断っても結局、後で嫌な思いをするのはこちらなので引き受けざるを得ない状況でもあるのです。

 

 効率が悪いと言えばそこまでなのですが、結局土日祝日出勤は当たり前。

 

 残業当たり前の毎日に、とうとう気が滅入ってしまいました。

 

 仕事をすればするほど、ストレスが溜まっていくのでもう頑張ることができなくなりました。

 

 昔は空元気で何とかなったのですが、今はもうできなくなりました。

 

 ですので、「多忙で疲れたから辞める」というのが理由です。

 

 他にも、人間関係の問題であったり、働く価値観が大きくずれ始めているので、このまま教員を続けるのは困難になりました。

 

 

 

 次に転職なのですが、転職に求めているものは条件は3つあります。

 

 ①定時出勤退勤ができる

 

 ②休日がしっかり取れる

 

 ③副業ができる

 

 の3点です。

 

 ちなみに今は給料面はあまり気にしていません。

 

 ある程度貯金もあるので、当面は何とかなるので給料面は除外しています。

 

 それに教員をしていて分かりました。

 

 過度にストレスが貯まる場所(職場)では、休日のフリーな時間などの集中力に大きな影響を与えることを。

 

 だから、転職で求めるはそこになります。

 

 また、転職よりも重点を置いているのが副業です。

 

 転職の仕事をしながら、その仕事に関わる副業を始めて自分で稼げるようになるのがまず最低限のゴールになります。

 

 ですので、今目指している道は、エンジニア転職をして、かつ副業で稼げるようになることを目指して勉強をしています。

 

 

 

 特に若い人には、教員以外の道があることやこれからの未来(働き方)を考えてほしいと思っています。

 

 私は教員だけに固執しない方が良いと思っています。

 

 空いた時間があるなら、1日1分でも良い、勉強をしてほしいです。

 

 自分の可能性を広げてほしいです。

 

 いつでも逃げられる準備をしてほしいのです。

 

 それだけがあなたを救います。

 

 教員が転職に踏み切れないのはそこです。

 

 公務員という安定した職だからこそ、転職という不安定なものに足踏みをしてしまいます。

 

 日々、自分の価値観を変える(不安定にする)行動をとって、いつでも転職できるようにしてほしいです。

初任者・若手教員必見!〜NOを言わなければならない真実〜

今回のテーマは、「選択」です。

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断ることであなた自身が救われる

 「No」が言えない人、仕事を断ることができない人は、「選択肢をもっていない」のです。

 

 つまり、自分の頭で考えて行動していないのです。

 

 これができない人に待ち受ける残酷な真実は、「自分で判断ができなくなる」です。

 

 これの恐ろしいところは、教員という仕事にずっと縛られて生きていくことになります。

 

 いざ転職しようにも、転職に踏み切る勇気が出ず今の環境にずっと拘束させれながら生きていくことになります。

 

 一方で、自分の頭で普段から考えて行動して(Noを言って)いれば、最悪な事態に備えて行動(転職)ができるようになるのです。

 

 要は、選択肢がないという人は普段から、自分の頭で考えて行動をしていません。

 

 だから、転職に踏み切ることができなくなってしまうのです。

 

 

 

 ただ、難しいのですが、すべてのことに対して「No」を言う必要はないのです。

 

 必要に応じては、「No」を言ってはいけない時もあります。

 

 自分が明らかに無理をしている時は、「No」と言っていいですし、そうでなくても正当な理由があれば問題ありません。

 

 ただ、面倒くさいからとか自分勝手な理由だけは避けたほうが良いです。

 

 自分自身がより良く働いていくためにも、勇気をもって断ってみてください。

 

 

 

 

余談

 

 私は教員生活7年目になりました。

 

 7年目になって初めて、Noを言いました。

 

 コロナ禍で部活、炎天下での部活、命の危険がある中で部活をやることに対して反対をしました。

 

 教育委員会からは、部活動をやっていい通達は来たのですが、それでも断固部活動を中止にしました。

 

 結果、保護者からクレーム、部員が退部と、悲惨なことになりました。

 

 正直、今でもそれがストレスで良い休日が遅れていません。

 

 ただ、私の中では大きな成長だと思っています。

 

 なぜなら、初めて自分の心に正直になってNoを言えたからです。

 

 また、自分の考えもしっかり保護者の方、管理職の方に伝えることができたからです。

 

 今までは、Noと言えず歯を食いしばってきましたが、今回の経験で自分を表に出すことができて良かったと思っています。

 

 一方でストレスは半端ないのですが‥

 

 ただ、この仕事を続けられるのも後227日なのです。

 

 早いもので、3分の1が経ちました。

 

 結論、Noが言えないと仕事は増え続けるだけだし、自分を苦しめることになる。

 

 教員の仕事は再現性がないです。

 

 だから、Noと言って、無駄な仕事を減らす努力をしてください。

初任者・若手教員必見!〜私教員として死にました それが転職理由です〜

今回のテーマは、「転職」です。

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私の命の灯火もあと228日‥蝋燭のように消え去っていく

 私は今から3年前に教員としての魂が死にました。

 

 そこから転職をすることを決意しました。

 

 魂が死ぬ前にも色々失敗があり、それと重なり精神が崩壊し(魂が死に)ました。

 

 結論としては、失敗をするたびに校長室に呼び出され、責任を全てなすりつけられる毎日が続き、それで精神がやられました。

 

 追い討ちをかけてのは、管理職の言葉をしっかり聞きそれを授業改善にも取り入れ行い、それでも失敗をすればその行動を取った自分の責任にされたことです。

 

 ここでもうダメになり、3年前の1学期に学校に行くのが厳しくなりました。

 

 ただ、1人の先生のおかげでその時から今にかけて働くことができています。

 

 その先生は私の様子に気がつき、温泉に連れ出してくれました。

 

 当然、私の話にも耳を傾けてくれました。

 

 その時に、明日から出勤することができないことを告げました。

 

 1日中何回も説得されましたが、自分は最後まで無理ですと主張しました。

 

 最後別れる時に、私はめちゃくちゃ怒られました。

 

 ただ、逆に怒ってくれたことにより私はメンタルを取り戻すことができました。

 

 その怒られた内容がすべて私の図星、、、言われたくないことをついていたのです。

 

 その時に今までモヤモヤしていた気持ちが吹っ飛びました。

 

 それで翌日に学校に行くことができました。

 

 そして、そこから今も教員を続けることができているのです。

 

 ただ、これは私の人生ではありません。

 

 その先生の人生を生きているに過ぎないのです。

 

 私が現在教員を続けている理由は、「担任を経験するため」です。

 

 運よく、中学校1年から3年の順で担任をもつことができました。

 

 残り228日それをやり終えてようやく、私の教員人生に終止符を打つことができます。

 

 この教員人生は、「その先生との約束を守るため」と、勝手に自分で思い込みながら続けています。

 

 自分を立ち直させてくれた恩を返すために、教員を続けている、そんな感じです。

 

 教員としては確かに死んだのですが、ただそれで何かを失ったわけではありません。

 

 転職という新たな希望も見えてきました。

 

 死ぬことは新たな生命を誕生させます。

 

 次はそれに向かって歩んでいくことに決めました。

 

 今は、プログラミングを学習しスキル身につける道を検討しています。

 

 正直、私は職場に馴染むことができない人間なので独立を最終ゴールにしたいと考えています。

 

 ただ、プログラミングで稼げなければ独立も夢のまた夢なので、今はそれにコミットします。

 

 今はたくさんの本もありますし、Youtubeでも学ぶことができるので勉強してみると良いです。(自分の人生について)

初任者・若手教員必見!〜無能と優秀は紙一重 成果を出せる人の特徴〜

今回のテーマは、「成果」です。

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何事においてすべて紙一重

 優秀な人と無能な人は紙一重です。

 

 例えば、短距離走が早い人が、長距離走で活躍できるでしょうか?

 

 答えは難しいと思います。

 

 要は、成果を出せる人というのは、自分の強みと弱みの両方を知っている人なのです。

 

 そして、強みで勝負をして弱みを目立たせないようにし、仕事をしているのです。

 

 何より長所と短所は紙一重なので、それさえ理解すれば問題ありません。

 

 正直な話‥

 

 私は若いうちは何でも挑戦をしても良いと思っています。

 

 例えそれが自分が苦手なことだとしてもです。

 

 なぜなら自分の限界も知れますし、案外苦手だと思っていたものがそうでないこと気が付けたりしますので、決めつけずに挑戦をしてほしいです。

 

 様々な挑戦は確かに労力を使うことになるのですが、最終的なリターンは全て自分に跳ね返ってきます。

 

 そして、それが長期的な自分の人生において、自分の役割や存在意義を生み出すことになり幸せになれるのです。

 

 私は思います。

 

 とにかく挑戦をして、自分の無能さに気がついてほしいです。

 

 なぜなら、それがあなたの強みになるからです。

 

 先ほども申した通り、強みと弱みは表裏一体なので、とにかく何でも手をつけて自分を知ることが成果を出す一番の近道なのです。

 

 怒られたり、周りの目が気になったりしますが、最近私はどうでもよくなってきました。

 

 というか周りもそれほど気にしていないので‥

 

 だから、捨て身の覚悟で臨むようになりました。

 

 ただ、それが自分に合わなかったら無理に行う必要はないと思います。

 

 自分が自分でいられる努力をすることが、一番大切なのでそこを見失わないようにしてください。