今回のテーマは、「時間」です。
極論を言うと、みなさん一人ひとりの寿命は違います。
だから、時間は決して平等ではないのです。
ただ、今回話したいことはそれではありません。
あくまで今回伝えたいのは、「1日24時間が平等に与えられていない」ということを伝えたいです。
また、「なぜ時間が大切なのか」、そこの部分についてもお話しできればと思います。
まずは、「時間が平等ではない理由」です。
これは、言わくても理解している人が多いです。
時間が1人ひとり平等ではないのは、出勤する時間と退勤する時間が違うからです。
さらに掘り下げると、起床・就寝時間も違いますし、仕事量も違うので私達は平等に時間が設けられていないのです。
中でも厄介なのが仕事なのです。
これが一番偏りが出やすいものになりますので、時間を奪う原因になりやすいです。
ただ、これを解消するパターンは2つあります。
まず1つ目は、「断る」です。
例えば、自分がやらなくてよい仕事であったり、切羽詰まっていれば断るのが良好です。
無理して引き受けても約束を守れなかったり、仕事が雑になって返って信頼を失います。
この機に、断る勇気をつけてください。
ただ、すべて断るとそれはそれで負担が増すので、自分が許容できる限度も確かめながら行うのが良いです。
次に、「任せる」です。
自分以外の人でもできる仕事は、任せるようにしてください。
ポイントは、手が空いていそうな人に頼むことです。
それでも厳しいようであれば、共同作業で行うのが手っ取り早いです。
案外自分がやらなくても回るのです。
極論ですが、自分ができなくてそれで組織が回らなかったら学校は崩壊しています。
厳しい言い方をしますが、別にあなた一人ができなくてもなんの問題もないのです。
だから、人に任せられることは任せてしまった方がいいです。
ここまで、話したかったことは「仕事の偏りが時間を奪う」というものでした。
ただ、今回一番あなたに伝えたいことは、「やりたいことがわからなくなる」です。
教員生活7年目となったのですが、日々業務に追われ、仕事のことしか考えない状態でいたら、私自身何がやりたいのか。今後どうしていきたいのか、分からなくなってしまいました。
時間に追われることは、時間を奪うのではなく「思考を奪う」のです。
私は大学を卒業するぐらいに登山にはまったり、ボルダリングにハマりました。
しかし4年ぐらいもうやっていません。
お正月に山小屋泊をする程度で、日頃の休日には行けていません。
正直、退職後自分はすぐに死ぬと思っています。
なぜなら、やりたいことがないからです。
それに、退職後に体力が残っているかも怪しいので、登山やボルダリングができるとも限らないのです。
私が声を大にして言いたいことは、「若いからこそ、体力があるからこそ、様々な挑戦ができる」です。
20代で会社を立ち上げて、仮に倒産してもダメージは少ないですし、もしかしたら成功するかもしれません。
ただ、年齢が上がるにつれてそういったこともやりにくくなります。
また、自分を支援してくれる人もいるとは限らないのです。
なぜ、若い人は支援をしてもらえるのでしょうか?
それは、「時間がある」からです。
若い人には多くの時間があります。
それが、成功する率も上げると言っていいでしょう。
当然、体力や吸収力も挙げれます。
ただ、一番は若さ(時間)というリソースなのです。
だから、私は今という時間を大切にし、自分が幸せになれるよう取り組んでほしいのです。