今回のテーマは、「優秀な人」です。
優秀な人は無能です。
自分がミスをすることや自分が思った以上に仕事をできないこと理解できるので、そもそも自身を客観的に認知するスキルがあるので優秀なのです。
何より「無能」という自分にとっての一番のマイナス要因を、理解していることこそが「優秀である証」なのです。
本当に無能な人は、自分が無能であることを認知できません。
つまり、無能であることすら自分で気がつくことができないほど、能力が備わっていないのです。
だから、もし自分のことを「無能」と感じている人がいたら、その人はとても優秀な方です。
無能を認めるには、それを受け入れるための大きな器が必要な分けですから、それだけで寛大な心をもっていることになるのです。
そして、「無能な人」の最大の武器は、失敗をたくさんをできることにあるのです。
周りからも無能と認知されることで、そもそもの評価が低いのでそこから評価がさらに落ちることはありません。
つまり、失うものが無いので、最強状態なのです。
さらに、誰かがミスをした時に、そのミスを被ることでスをした本人からも「良い人と思われる」ため、自分の武器を最大限に生かすことができます。
無能というのは、「無限の可能性」の略なのです。
タロットで言う「愚者」です。
周りから期待されないからこそ、無能だからこそ、失敗をしても痛くも痒く無いのです。
これが信頼させる立場にいたら、1つの失敗で大きな信頼を失う分けですから、そのほうがリスキーなのです。
一方で、多くの失敗をできると言うことは、多くの学びを手に入れることにもつながり成功のチャンスを掴む可能性もあるのです。
何より、無能な人がいないと組織は成り立ちません。
むしろ、無能な人がいるからこそ組織は成り立つのです。
先も述べたように、無能な人が責任を負うことで組織は円滑の回るようになります。
仕事をする上で、一番の問題は「責任の所在」です。
それを、無能な人が被ることにより、上司も丸く収めることができるのです。
もし、仮に上司がしょっちゅう責任を負っていたら、組織は崩壊の一途を辿ることになります。
上司のストレスもありますが、その上司が無能と思われるようになり、組織の統率力がなくなってしまうのです。
だから、本当に仕事ができる人が必要な一方で、無能な人材も実は組織には欠かせない存在なのです。
特にこの仕事(教員界)では。
今は、企業の方針も変わっているところはあるので、本当に超一流のみを厳選したところもあると思いますが、この世界(教員)ではまだまだ無能な人が必要です。
最後に
無能な自分に引け目を感じないでください。
そもそも自分を無能と認知できている時点で、優秀な分けですから。
また、自分から積極的に責任を被りにいく必要もありません。
ストレス過多ににならない程度に、責任を負っていけば良いのです。