Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

学級通信 失敗は安全に学ぶためにある

今回のテーマは、「失敗」です。

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失敗しない方が逆に恐ろしいことになる

タイトル:学校教育の失敗は安全な学びの機会

以下内容

 みなさんは学校で、失敗を積極的にしていますか?学校での失敗は安全な学びの場なのです。もし、学校で失敗せずに世の中に出たらどうでしょう。失敗した時に、立ち直り方や解決手段など、そういったもので壁を乗り越えていけるでしょうか。難しいですよね。学校は、失敗を経験し自立するために学ぶ場なのです。怒られることや叱られる事が嫌なこともあるでしょう。考えてほしいのですが、若いうちに叱られることと、年齢を重ねてから叱られること、どちらが辛いでしょうか。私は、歳を重ねてからしからることの方が、嫌ですし恥ずかしいですし、何より自信をなくします。だから、若い時から失敗を経験する方が遥かに、後から役に立つことの方が多いのです。これでも、まだ失敗が怖いでしょうか。積極的な挑戦ができないでしょうか。極論、失敗をしない人はいます。その人は、挑戦をしない人か本当の失敗を乗り越え、人生を極めた人でしょう。後者は、失敗の量や質が想像もつかないですね。

 失敗は、いや失敗でしか本当の学びは得られないのです。確かにそれは、経験した時辛いでしょう。心もズタズタになるかもしれません。しかし、それ以上のメリットは人生が豊かになり幸福度がますのです。私の知っている人にも幸せな人がいます。その人は尋常じゃない辛い体験をしてきました。よくめげずに挑戦し、あきらめず挑戦を続けられたと思います。それに、辛い経験をしたのに明るく気遣いができ、周囲に対してもとても優しいのです。これは、辛い経験をしたからこそ分かるのです。周りがどのようなことで悩んでいるのか、何に対して躓いているのか、だからこそ優しくなれるのです。辛い経験を乗り越えたからこそ、その時よりも今の人生が遥かに幸せだと心から思えるのです。一方で、挑戦や失敗をしない人はそうはなりません。現状に不安や不満をぶちまけ、誰かのせいにして自分を正当化するのです。しかし、結果的に本当に今の人生に満足できず、一時の幸福を手にしても次の標的を探し出し、その人を攻撃し自分の自己満足を満たそうとするのです。

 失敗は学びのためにあると言いました。しかし、それは過程に過ぎないのです。それは、幸福な人生を歩むための過程なのです。失敗を乗り越え、辛い経験から本当の幸せを知り、かけがえのない人生に変わるための手段に過ぎないのです。幸福を得るために、失敗をすのか、失敗を恐れ何も得ない人生を送るのか、今一度自分に問いただしてください。他でもないみなさん自身の幸せのために。