Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

学級通信 努力を笑ってはいけない理由

今回のテーマは、「努力」です。

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他人の努力を否定することは自分の可能性を潰しているだけである

タイトル:他人の努力を笑ってはいけない本当の理由

以下内容

 みなさんは、誰かが泥臭く頑張っている時にバカにしたような態度をとったことはありますか?私はありました。頑張っている人をバカにすることは、その人自身を傷つける行為になるでしょう。とても褒められたことではありません。私も人のことは言えないのですが‥しかし、本当に何かに対して必死に努力をしている人は、周りから何を言われてもどうとも思わないのです。自分自身が今すべきことが明確になっているので、バカにしてくるような人達を相手にしている時間は1秒たりともないのです。問題なのは、人の努力をバカにする人の方にあります。

 人間として、当たり前のことのなので他人をバカにすることが、その人を傷つけたり、自信を奪ったりする最低な行為であることを、ここでは解説しません。それよりも、その行為がどのような形で自分自身に跳ね返ってくるのか、それを理解してもらいたいです。

 まず、他人の努力をバカにする人は、自分自身が本当の意味で努力をしたことがない人です。もし、本当の努力をしていたなら、自分自身も周りからバカにされる嫌な思いも知っていますし、その日々の努力を継続をすることが如何に困難なことか分かっています。だから、バカにするなんてことはできません。むしろその辛さが分かっているからこそ、努力をしている人に対して応援ができたり、勇気を与える言葉がけができたりと、その人の支えになれるのです。

 一方で、努力をしたことがない人や本当の意味での努力を知らない人は、平気で人のことをバカにできるのです。しかし、それは自分自身にとって、とても残酷なことをしているのです。その行為は自ら、自身のチャンスを奪っているのです。もし、相手に対して「何必死に頑張っているんだろう?かっこ悪いしダサい。」と思ってしまったら、自分自身を本当に変えようとした時、自分がバカにした人と同じことをするわけですから、今度は自分そのものを否定することになってしまうわけです。確かに、その瞬間は相手から何かを奪って優越感に浸れるでしょう。ですが、それは一瞬だけですし、また満たされなくなったら、次のバカにできる人を見つけて同じことを繰り返していくだけなのです。双方にとってメリットは何一つありません。

 私はみなさんに、自分自身の可能性を広げる行動をとってほしいのです。そうでなければ、本当の意味での自分の人生を歩めないからです。いつも自分の可能性にかけて行動し、真の幸福を手にし自身と周囲の人達にそれを分け与えられるようになってほしいのです。満たされているからこそ、誰かを幸せにすることができます。そのように自立してほしいといつも想っています。