Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

学級通信 中途半端でもできる方が良い

今回のテーマは、「中途半端でも良い」です。

 

はじめに

 人間は知らず知らずのうちに、他人と自分を比較してしまいます。ある程度のことができでも、あの人よりかはできないとか、無意識のうちに考えてしまいます。今回は、そういった気持ちとどう向き合うか、よりも中途半端でも、できる限り多くのことをできるようになるなった方が良い理由を書いていきます。

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できないよりか、少しだけでもできる方が遥かに良い!

タイトル:みんなと力を合わせるからこそ最高のものが生まれる

以下内容

 みなさんは、「できること」と「できない」ことどちらが多いでしょうか。まあ、判断基準が無いので難しいですよね。では、「少しでもできる」ことはどのくらいありますか?おそらく、たくさんのことが挙がると思います。ここで大切なのは、他人と比較しないことです。例えば、あるスポーツをしたとします。今回は野球にしましょうか。野球をした時に、うまくプレイできる人もいれば、ぎこちないけどそれなりのプレイをできる人もいます。技能面で見れば、経験者はうまいですし、あまり野球をしたことが無いひとは、ぎこちない動きになってしまうでしょうね。では、ぎこちないプレイで野球をすることは、「野球ができない」になるでしょうか?そうではないですね。野球ができるになりますよね。ここで大切なのは上手い下手ではなく、最低限のプレイができるかどうかなのです。その最低限さえ満たしていれば、「できる」と言って良いのです。だから、例え中途半端だとしても「できる」ことを増やしていってほしいと心から想っています。

 それでは、なぜ「中途半端でもできることを増やした方が良い」のでしょうか?それは、私達が「人間」だからです。人間と言うのは文字の通り、「人と人との間に生きている」のです。だから、自分ができることで他者貢献し、苦手とするところは誰かにフォローしてもらえばそれで良いのです。持ちつ持たれるの関係が私達を人間にしているのです。中途半端でも、できることがあれば、それは他者貢献しやすくなるのです。結果として、たくさんの人に喜んでもらえて、お互いの人生が幸せになっていくのです。

 少し具体的な説明をします。例えば、AくんとBくんがいます。Aくんは、ものづくりは得意ですが、図面を描くことは苦手です。Bくんは、図面を描くことは得意ですが、ものづくりが苦手です。Aくん、Bくんが1人で課題をクリアしようとなると難しいでしょう。しかし、この2人が力を合わせたらどうでしょうか?お互いがフォローし合える関係になり、良い作品が完成するのではないでしょうか。Aくんは、図面を描くことが苦手なだけで、描けないわけではないのです。だから、Bくんの図面を見て、アドバイスすることもできるのです。逆も然りです。Bくんはものが作れないわけではありません。だから、Aくんの作業を見て、作業効率のアドバイスをすることもできるのです。これは、2人で力を合わせたからできることですし、完成した作品も1で作る時よりも良いものができやすくなります。仮に両方が、独りよがりな考えで作品を作ったらどうでしょう。良いものが仕上がると思いますか?仮にできたとしても、ものすごく苦労することでしょう。人間と言うのは、1人だと思い込みだけで判断してしまいます。それが、あまり良くない発想でも、それが良いと信じ込んでしまいます。だからこそ、他者と一緒に関わりながら、何かをやったり暮らしていく必要があるのです。

 みなさんに言いたいことは、「中途半端を悪いこと」と思わないでほしいと言うことです。むしろ、「少しでもできる」ことを自信にしてほしいのです。もし、これが「できない」であれば、本当に何もできないのです。他者貢献もできなければ、誰かの力になりたい時に、力になれず終わってしまいます。これほど、歯痒いことはないでしょう。悔しいことはないでしょう。

 「できる」ことは、他者貢献につなげられるのです。他者貢献ができるということは、誰かを幸せにできると言うことです。他者に幸せを与えられるからこそ、自分自身が幸福になれるのです。周りが幸福をもたらしてくれるのです。私はみなさんに幸せになってほしいと願うからこそ、「できる」ことや「他者貢献」を大切にしてほしいと想っています。早い時期から、今日から、たくさんの経験や体験をし、様々なことが「できる」ようになり、より多くの人に幸せを分け与えられる人生を送ってほしいと心の底から願っています。