Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

野球部の顧問をしていた時の話〜私はたったひとりの保護者に掬われた〜

今回のテーマは、「部活」です。

 

 久しぶりにブログを更新をしてみようと思い立ちました。

 

 教員を離れて数年が経ち、心も少しずつ回復し過去にあったできごとも受け入れられるようになった今日この頃です。

 

 そんな折なぜかふと、野球部顧問をしていた時のことを思い出しました。

 

 当時、そこまで気に留めていなかったのですが、今思うと私はひとりの保護者に掬われていたんだなと思い、その記事を書くことに至りました。

 

 それでは、そんな話に付き合っていだければ幸いです。

 

 コロナ禍もあり、部活に制限がかかっていた時期がありました。

 

 ですが、部活で試合を行える機会が巡ってきました。

  ※公式試合ではない

 

 当初部員の人数も少なく、ぎりぎり試合に出場できました。

 

 対戦チームは、ちょうど同じ地域の外部で野球を行っているチームでした。

 ※知り合いの生徒・保護者がいるチーム

 

 試合の結果は、1回戦目で敗退でした。

 

 コロナ禍もあり、当然部活は制限されており全然練習ができていない中での試合だったので、当然の結果ではありました。(言い訳がましいですが)

 

 ただ、部活でないチームなどは練習をしていたそうです。(言い訳がましいですが)

 

 試合の流れは、相手チームに先制されそれが最終回まで持ち越すかたちとなりました。

 

 手に汗握る最終回でしたが、こちらも同点まで追いつくことができ勝利の可能性を見出すことができ心が躍りました。

 

 しかし、こちらは人数がちょうど9人、練習量が減ったこともあり体力面でも最終回はかつかつでした。

 

 つまり、最終回で逆転できず、サドンデスになった場合こちらに勝機がないのは明白でした。

 

 結果として、最終回は逆転できずサドンデスで敗退することとなりました。

 

 ここからは、保護者に言われたクレーム(不安)になります。

 

 最終回でヒットを打ったA君がおり、その子の活躍があり同点まで追いつくことができました。

 

 サドンデスは、好きな打順からバッターを初手にもってくることができます。

 

 当然、A君を初手のバッターにすればよかったのですが、私はそうしませんでした。

 

 最終回が終わった打順の続きで、バッターを初手に送り込みました。

 

 そこで、保護者からクレーム(不安)が募りました。

 

 なぜ、A君をサドンデスのバッターにしなかったのかと…

 

 おそらく、この記事を読んでいるあなたも保護者の方と同じ意見だと推察します。

 

 A君は最終回のヒットを打ち、走塁も限界まで追い込み最大限進める塁まで行きました。

 

 その後、必死にホームを狙い動き、得点をなんとしても確保するという様を見せ、実際に得点を取りました。

 

 が、その代償として疲労困憊となり体に相当な負荷がかかっていることがわかりました。

 

 だから、サドンデスになったとしても私はA君を初手バッターにすることは選択肢にありませんでした。

 

 もし、ここで彼に無理を強いれば体を壊すこともあったので、そんなことになってほしくないという思いが先にきてしまいました。(感情的になってしまいました)

 

 幸い、次のバッターが(最終回終わった時点)日頃練習にも休まず参加していた子だったので、その子に打席に立ってもらいたいと思い、最終回の続きからである打順からやることに決めました。

 

 ですが、その子の保護者にもA君をなぜ初手バッターに選出しなかったかと問い詰めらてれた時は動揺しました。

 

 別に感謝されたかったわけではないのですが、なんだか複雑な気持ちになりました。

 

 その後、試合も終わり荷物をまとめベンチを去りました。

 

 私が身支度を整えているところに、あるひとりの保護者が来ました。

 

 その方は、相手チームの保護者で私の知り合いでもありました。(当然ですが)

 

 その保護者は、私の試合運びや判断を肯定的に説明してくれました。

 

  というか私が意図していたことをそのまま話していたので、私自身も驚きました。

 

 私の批判をするのでなく、私の判断などが適切であったことや部活で少ない練習時間の中、あそこまで良い試合展開にもっていけてたこと、紙一重で自分(保護者側)のチームが負けていたかもしれないことを私に話してくれました。

 

 皮肉なことに、同じチームにいるはずの保護者からはクレームを受け、相手チームの保護者からは賞賛されるというかたちになりました。

 

 ですが、今振り返ってみると私は救われていたことに気がつきました。

 

 いや、もしかしたらずっと気がついてたのかもしれませんね。

 

 ただ、そう感じていなかっただけで。

 

 言いたいことはただひとつ。

 

 あの時に私の元へ歩み寄ってくださった、たったひとりの保護者の方に感謝を申し上げます。

 

 本当にありがとうございました。

 

 もし、あのやりとりがなかったら私はずっとそのことを引きずって生きていくことになったかもしれません。

 

 ですが、ひとりでも認めてくれる方がいれば、それを振り切って前に進めることが今になってわかりました。

 

 その保護者の方が、ただ幸せに生きてくださることを私は心から望んでいます。

 

 この記事を読んでいる方もどうか、あなたを認めてくださる方との関係やご縁を大切に育んでください。

 

 取り止めのない話になってしましましたが、お付き合いいただき感謝いたします。

 

 あなたにも幸福が訪れることを心からお祈り致します。

 

 それではここで失礼致します。