今回のテーマは、「失敗」についてです。
はじめに
お恥ずかしい話、この先も今の仕事を続けるとして、生徒に寄り添った生徒指導をできるか不安です。あくまでも、個人的な1つの考えですが生徒指導の本質として、その子に「気がつかせる能力を養う」や「その子に勇気を与える」というふうに捉えています。こちらにつきましては、ご意見いただければと思います。(弱音です)
私もそうですし、職場を見ていても、「これ生徒指導?」と思うことがあります。状況を理解しないまま感情的に怒ったり、生徒自身反省できているのに必要以上に怒られたりと‥
言いたいことは、「人間なんて失敗してなんぼでしょ」、「もっと自分も周りも失敗に対して捉え方変えようよ」ってことです。今日はそんな自分なりの考えをみなさんにお伝えできればと思います。
タイトル:価値ある失敗は人生において最上級の栄養となる
以下内容
みなさんは、1日何回失敗していますか?私は、意識的に気がつけるのが3回ぐらい、気がつけていないのはわかりません。つまり、日常生活の中で何気ない失敗をたくさんしているということです。
当然、失敗をすると怒られますね。それは私もみなさんも同じです。そこで考えてもらいたいことは、怒られること(失敗をすること)は悪いことなのでしょうか?さて、今回の結論をお伝えします。
「若いうちにたくさんの挑戦をし、失敗を重ね多くのことを学びなさい。」です。
正直、私は失敗自体は嫌いではありあません。ただ、面倒なだけなのです。そう、怒られることが‥1つ理解していただきたいのは、まだ幼くとも、いくら歳を重ねても等しく同じ人間であることは変わりません。いくら、私も大人になったからといって怒られことまでには慣れません。ちなみに失敗は慣れました。むしろ、失敗は楽しいです。
ただし、注意してほしいことがあります。それは、本気で失敗をすることです。何か挑戦した時に、気の乗っていないことだと失敗から得る学びはほぼないです。自分が考えて一生懸命取り組んだことだからこそ、失敗が
「本当の価値ある学び」になるのです。これほど人生において貴重なものはありません。だから、失敗=なるべく避けるようにする。これは正直、非常にもったいない話です。是非、少しでもみなさんの失敗に関する見方や考え方が変わったら幸いです。
長々と話しましたが、実は本当に大切なのはここからです。
みなさんは、失敗をした時、「怒られる」のと「その失敗に対して向き合ってもらえる」どちらをしてもらったら幸せになるでしょうか?後者だと思いませんか?私も完璧な人間ではありません。時に感情的に怒ってしまいます。なるべくは、「その失敗に対して向き合える」人間になるよう尽力はしています。
それには、大きな価値があるからです。自分の周りに誰か1人でも、「失敗に対して向き合ってくれる人」がいれば、自分自身に「大きな勇気」を与えてくれるからです。私も努力して、みなさんに「勇気を与えられる」ように成長したいですし、そんな人間でありたいです。そして、みなさんにもそんな思いが届いてのなら、短にいる人にも勇気を与え続けてほしいのです。そうなれば、自分も幸せになれますし、周囲の人達も幸せにすることができます。
話をまとめます。
①「本気で挑戦し、その失敗から学んだことにはかけがえのない価値がある。」
②「失敗をしたとき、本気で向き合ってくれる人を見つける。」
③「みなさんも、誰かが失敗したときに勇気を与えられるよう成長してほしい。」
④「勇気を与えることは、自分も周りも幸せにしていける。」
最後に
内容としては、少し暗かったかと思います。
ただ、日々怒られると疲弊します。教員も同じ人間。指導すべき教員を注意しない管理職。若手が社会人経験が足りないと口実をつけて、それを指導と豪語する。正直、もう仕事を続けるのがしんどいです。
ある日、生徒指導の場で考えました。十分反省をしている生徒に対して、追い討ちをかけるネチネチした指導をする必要があるのか?その生徒が、管理職から怒られている自分と重なりました。怒ることになんの価値があるのか。自己満足と自分の中にたまった鬱憤をはらすためにしているただの八つ当たりにしか感じない。
だから今回、「失敗」についてもう一度考えてみました。誰かが失敗しときに、その相手を否定する、追い込むこと以上に、「勇気を与えることの方が何よりの価値がある」ことみなさんに少しでも共有できればと思いまして書きました。
話がうまくまとめられていませんが、ここまでお読みになってくれた方には深く感謝をしております。今まで書いてきた記事のリメイク版を出していきたいと考えています。内容が重複する記事もできてしましますが参考にしていただければ幸いです。