Taros’s diary

学級通信のねたの参考にしてもらえば思います。

教員としてのリテラシーが高い人 どのくらい職場にいますか?

今回のテーマは、「リテラシー」です。

 

 自分の働いている職場に、「リテラシーが高い」と思える人はどのくらいいますか?当然ですが、教員すなわち教育者としての、人間性が高い人のことです。要は生徒の立場になれたり、生徒の素朴な疑問に向き合える人ですね。教科指導力が高くても、前述に難があるとリテラシーが高いとは言いにくいですね。

 

 本題として言いたいことは、リテラシーの高い人がたくさん集まっている職場は最高に幸せな環境です。逆に言えば、もしそうでないとしたら結構危険です。あなたの教員としての能力が伸びず、この先苦労することになります。それを無くすためには、ひたすら本を読み教養を広げていく他ないのです。

 

 私自身、最初の職場で結構苦労しました。力で押さえつける指導が多く、怖くない教員には反抗をすることが多々あり、手を焼くことが多かったです。もちろん生徒ではありません。

 

 私がひたすらしたことは本を読むことです。そして、ひたすら真理を追求しました。言葉でいかに相手に伝えるのか、なぜそうしなければならないのか、相手が納得する答えをひたすらに考え研究しました。生徒指導の際に失敗しては方法を変え、ひたすらその繰り返しでした。

 

 恥ずかしい話、これを繰り返したことで一番救われたのは、外でもない自分でした。生徒のためにやっていたことが、結局は自分を救っていたのです。そして気がついたら本当に自分自身が変わっていることに気がつきました。

 

 自分でも実感しているのは他の教員とは違う雰囲気や考えをもっている独特な人だと生徒から認識されていることです。不気味さ、何をするかわからない怖さ、そんな特殊なオーラを見に纏うようになりました。それも自然体です。生徒は良く自分を観てきます。緊張感をもって接するようになってきました。

 

 それは一重に、同じ場面でもたくさんの角度や視点で指導をするからです。本来では怒るような場面でも、怒らずユーモアを出しながら叱ることもあったり、早口で呟くようにひたすら理詰をしたり、叱るべきところでも、ありがとう!おかげで助かったよと、うそついたり、ある意味での異常さを出したくさんのレパートリーで生徒指導を行っているからです。違う意味で生徒も自分に怖さを感じています。ただ、暴力的な怖さではありません。自分で言うのもあれですが、本当に怖かったら生徒が寄ってくるわけがありませんから。

 

 リテラシーが高い教員の見分け方は簡単です。まず、生徒が納得する指導ができているか、これは必須条件です。生徒が指導後に、文句を言っているのであればまだまだ勉強不足と判断すべきです。

 次に、その人にしかできない、自分には真似できない指導方法があるかです。本当にダメなものはダメ!と言うのは当たり前なのですが、そうでない些細な指導の場面で、その人らしさが出るような指導をしていれば、視点を変えながら指導をしようとしている証拠にもなりますので、是非観察してみると良いでしょう。

 最後に、生徒の悪口を言わないです。これは当たり前すぎて載せるか迷いましたが、あえて載せることにしました。生徒の悪口は怠慢、逃げ、自分を正当化する最も合理的な手段、もはや本当に教育者か、そもそも教育現場で働く資格があるのか疑問に感じます。生徒の良いところ言ったり、授業での活動を担任の先生や学年の先生に話す人はリテラシーが高いと判断して良いです。なぜなら、良いところを探し出せる人は少ないですし、意識しないと中々身につかない能力ですから。

 

 

 リテラシーが高い人達を多くするにはまず自分自身のリテラシーを高くする必要があります。ですが、そこまでストイックに考える必要はありません。授業で少し工夫を加えることを考えたり、説明の仕方を変えてみたり、日々の生活の中でちょっとした変化を入れて、いろいろ試していくところから始めてみてください。それを毎日行うことでいつの間にか自分自身が大きく成長しているものです。慌てず、ゆっくり歩んでいってください。

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そもそもの人間としてのレベルはどうですか?